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2016年分2015年分2014年分2013年分2012年分2011年分2010年分
2009年分2008年分2007年分(1~5月なし)2006年分(11・12月なし)2005年分(7月から)
●「図書新聞」HPの「連載」ページ掲載「同人誌時評」
●「全作家」HPの「文芸時評」横尾和博筆
投稿者:ひわき 投稿日:2019年12月27日(金)16時07分17秒
「西日本新聞」12月27日(金)朝刊「西日本文学展望」茶園梨加氏筆
題「父親」
木澤千さん「炭鉱(やま)の子歳時記」(第七期「九州文学」48号、福岡県中間市)、友尻麓さん「「赤とんぼ」(「砂時計」3号、福岡市)
寺井順一さん「真清水」(「西九州文学」43号、長崎県大村市)、野沢薫子さん「本所、深川みぞれ模様」(「長崎文学」92号、長崎市)、吉岡紋さん「線香花火」(第七期「九州文学」48号)
「あしへい」22号(北九州市)は今号で終刊。「葦平と天皇」を特集。同誌より玉井史太郎さん「手談-葦平打碁集-」
12月 9日 (月)付「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。
同人雑誌季評「季刊文科」第79号~谷村順一氏ーより
担当の谷村順一氏は「文学へのまなざし」として、大手新聞の「文芸時評」欄の各紙の批評担当者の姿勢について、朝日新聞の担当を2年間受け持った磯崎憲一郎氏の同新聞への一文について論じている。そこには、文芸誌に掲載された小説を印象に残った順から、網羅的に、権威的に寸評する、というスタイルよりも、それにとらわれずに、自らの目下の興味に対して忠実であった時評を行った作家・石川淳の手法を「破壊的」としながら画期的であったとする論について、述べている。石川のそれは「文林通信」として新書から文庫にまでなっている。
《対象作品》松本源「水かけ着物」(「樹林」Vol.653・大阪府)/鷹田雅司「ライダーをたおす」(同)/大梅健太郎「ハンドリガード」([樹林」vol.652・大阪府)/内藤万博「異★人」(mon vol.14・大阪府)/飯田美和「羽化」(同)/塚田源秀「ケージ」(「せる」第111号・愛知県)/宮城芳典「ツバメ石」(「カム」VOL.17・大阪府)/久里さと「蘇鉄の日」(あるかいど」第66号・大阪府)/高原あふち「そこからの眺め」(同)/住田真理子「死にたい病」(同)/猿渡由美子「スウィートスポット」(「純文学」第100号・愛知県)/今野奈津子「ジャック アンド ベティ」(「飢餓祭」第45集・奈良県)/渡利真「家族パズル」(同)/葉山ほずみ「夜を漕ぐ」(「八月の群れ」vol。68・兵庫県)。
2019年12月 1日 (日)付「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。
同人誌評「図書新聞」(11月30日)評者・越田秀夫氏
優曇華の花は三千年に一度咲く。竹取物語では、かぐや姫が言い寄る男達をバッタバッタと振り倒す武器の一つに。一度見たい、が短絡して実際の花のあだ名に、その中の一つがフサナリイチジク。この房ナリから連想したのか、クサカゲロウの卵塊にも。それが由緒あるガラス製の美しい電灯のカサに生えて……
『うどんげの花』(花島眞樹子「季刊遠近」71号)――昭和一八年、都内から奥秩父に疎開した主人公(小四女)の家族。引っ越しの前日、友達のA子が餞別に少女雑誌を。お返し……と思い当たったのが、祖母が曾て宰相で暗殺されたお方から戴いた電灯のカサ、不吉な花が生えたあの……。A子は教会の牧師の子、成績優秀・美少女、だから嫉妬の塊。疎開の地で、教会が放火されA子の焼死が伝えられる。十余年の後、A子の日記に邂逅、彼女のあたたかい心根を知る。“思い込み”は蟠りとして心に残ったが、懐かしさも醸す。次の作品も……。
『八歳だった』(和木亮子「人間像」189号)――昭和二〇年七月一五日、主人公の住む富良野が空襲を受けた。家族は無事だったが仮住まいを余儀なくされ、主人公だけが単身で別刈の、母の従兄の家に預けられた。なぜ私だけ? 納得できない。慣れない言葉、素っ裸で泳ぐ子供達、石を並べた家々の屋根、五右衛門風呂、蛸の釜揚げ、蝋燭岩、どれも馴染めず、おいしい食べ物も喉を通らず、家に帰りたい。それに反比例するように読者は北海道経験皆無でも、懐かしさ、郷愁に満ちる。
『すべてガ売り物』(マツイアキラ「穀雨」25号)――市職員であった主人公は、不倫デマで失脚↓失職↓離婚するも、土地建物の許認可業務経験を生かし中古住宅仲介業で生活を確保。と、厄介な豪邸物件、郊外に立地、持ち主だった男は破産、行方不明。そこに買い手が現れる。とても金持ちとは思われない風体の男。買えるはずない! いや買えるかも? 理路が通り、ついつい引き込まれる。小説自体がボケ老人相手の詐欺師?
『飴色遊園地 再び開演』(谷口俊哉「雑記囃子」24号)――「さあ、災害で心身ともにお疲れの皆さま、この遊園地で夢のひと時を」。最初の小屋はメイズ(迷路)。企業戦士四人が挑戦。抜け出たのは窓際の初老男のみ、あとは迷宮入り。次のショーテント(見世物小屋)には二人の若い女。メイキャップが剥がされ、彼女らが見世物に。キャラクターショーでは悪童二匹。ワルガキは悪役蠅男に変身。彼ら全員、人型の飴細工となり、風船にぶら下がり夕日を浴び輝いた。
『僕達の出典』(松江農「青磁」40号)――趣味おたくと人生賭けたおたくが織りなす、おたく史、特撮史、表現の不自由史。蔑称“おたく”がやがて森永卓郎に代表される尊称“オタク”へ。作品は小説そっちのけで“おたく道”の険しさを“論”じる。そのなかで注目すべきは、世間から指弾された梶山季之『ケロイド心中』が健在なのに、なぜ『ひばく星人』は闇に葬られたのか、という指摘。当否は別として、知事と市長の表現の不自由論争があったばかり、時宜を得ている。
『りだつダイアリー』(三上弥栄「星座盤」13号)――うつ病薬からの離脱をめざした格闘日記。うつ病に対する啓発活動が進められて久しいが、いまだ社会的無理解は解けていない。患者は疾病との戦いの上に鎮座するこの無理解という石男とも戦っている。常に引け目を感じ、薬からの離脱を試みるも耐えがたい離脱症状が待っている。作品はこのような板挟み状態を捉える一方、社会そのもののヒズミをも結果として映している。
投稿者:ひわき 投稿日:2019年12月 2日(月)12時12分32秒
「西日本新聞」11月29日(金)朝刊「西日本文学展望」茶園梨加氏筆
題「再会」
和田信子さん「青葉山公園」(「南風」46号、福岡市)、出水沢藍子さん「流れ舟」(「小説春秋」30号、鹿児島市)
武村淳さん「ワンルームマンション」(「詩と眞實」845号、熊本市)、下村幸生さん「追跡者」(「宇佐文学」65号、大分県宇佐市)
米満淳子さんの随筆「幻の奄美」(「あかね」114号、鹿屋市)
投稿者:ひわき 投稿日:2019年11月 7日(木)15時59分54秒
「西日本新聞」10月31日(木)朝刊「西日本文学展望」茶園梨加氏筆
題「水辺の生物」
白石すみほさん「蛇(カカ)の目」(「ふたり」22号、佐賀県唐津市)、宮川行志さん「南海の傷跡」(「詩と眞實」844号、熊本市)
第45回部落解放文学賞入選作(小説部門)に宮本誠一さん「有明幻想」(「部落解放」776号)、文学批評「敍説」Ⅲ-16号(福岡市)の特集「河童の棲む文学誌」
2019年10月31日 (木)付「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。
同人誌時評11月「図書新聞」(11月2日)評者・志村有弘氏
(一部抜粋)~■小説では、〈老〉を視座とする作品に注目。いずれも老人の〈孤独〉な姿を浮き彫りにする。天野律子の「夢の残り・タコ」(「黄色い潜水艦」第70号)が心に重い影を残す。逸枝は両親を知らず、祖母に育てられ、十九歳の時から一人で生きてきた。夫も子も孫もきょうだいもいない。地域の集会所の老人会には出席するものの、会の光景を眺めているだけ。「その他大勢の居場所」に身を置き、「どうでもいい隅っこがいい」と思っている。夕方まで何の予定もなく、夕食と風呂と就寝をすませば「今日という一日が終わる」。しかし、昔、食堂で働いていたとき、逸枝の口ききで働くことができた母子と自分の部屋でひと月ほど暮らしたことがあった。母子は、子を祖母に預けると言って出たまま戻ってこなかった。逸枝はその母子と共に暮らしてもいいと思っていたのだ。逸枝はタコの遊具を団地の中の広場に呼びたいと思う。人物の描写が細緻。読ませる力を称えたい。
野上志乃の「アリババ」(「りりっく」第34号)が、童話的手法で不思議な感覚の世界に導いてゆく。「私」は古希を迎えた女。目が覚めても一日をどのように過ごしてよいものか戸惑う。冷蔵庫が空っぽなので、買い物に行こうと思い、外へ出ようとしたとき、アリが行列を作っているのに気づく。「私」はアリたちと言葉を交わす。食料を集めるのは老女アリだという。アリは「私」の年齢を聞いて、「七十? そりゃあ化け物だ」と驚く。「アリババ」とは、蟻婆。「私」は「死ぬまでやるべきことがある」と言うアリたちに羨望を覚える。「まだ死にたくない」「自分にもできる役がまだあるように気がした」という文章に救われる。「アリのように子どもをみんなで大事に育てる社会が来るだろうか」という文章も傾聴に価する。
井上淳の「死ぬまでの日数を数えてみた」(「まがね」第61号)に、老いて目前に迫る死をどう迎えるかを考えさせられた。戸田は膵臓に腫瘍がある。余命四か月。七十七歳。定職に就かず、独身。親しい知人はゲーム仲間。以前は死が「気楽」で「待ち遠しい」気さえしていたのに、現実に〈死〉をつきつけられると「腹立たしく、悲しい」と思う。最後は仲間たちに囲まれ、「安らかに」息を引き取って荼毘に付され、骨は市の職員に渡された。「人目をはばからず、好きなように生き」たというから、救いはある。とはいえ、遺骸を引き取る親戚もなく、孤独であったことは事実だ。過疎、少子化……日本の未来は、戸田のような人生を送る人が多くなるだろう。
星野充伸の「同窓会と惚けの効用」(「逍遥」第6号)は、大学の同窓会、友人との交流、そして今に至る自分を綴る。本間久雄や坪内士行の名や谷崎精二の言葉が記されるなど、興味深い話が展開する。同期の卒業生の中から教授は生まれたけれど、作家が現われなかったのは「近現代の優れた小説を読んでも創作方法まで会得しなかったのだろう」という言葉も見える。作者は「自営業方々、こつこつと短編や旅行記を書いて同人雑誌活動を続けてきた」といい、卒業論文のテーマとしたグレアム・グリーンの原書を耽読することで「英文学と繋がっていた」と述べる。これもまた、見事な文学生活。
石毛春人の「詩の恵み」(「新現実」第141号)は、昭和文学走馬灯とでもいうべき作品。林富士馬の『詩人と風景』を再読し、「中勘助の戦争詩をやっつけている伊藤信吉や山室静などを非難」していることを「怒りが沈潜してひとつのエネルギー」となった「いい文章だ」と述べる。そうして「こんどフジマさんに会ったら、それを言おう」とユーモアをたたえた文章も示す。林が兄事した伊東静雄にも触れており、ふと林の詩「伊東静雄詩碑を尋ぬ」に見える芭蕉の「さまざまなこと思ひ出す桜哉」の句を想起した。暗記を否定した「戦後の漢字教育の間違い」と論じる文も見える。一読を勧めたい好作品。星野と石毛の作品は、エッセーとして読むこともできる。
(相模女子大学名誉教授)評者◆志村有弘ーーー《参照:〈老〉と〈死〉を根底・視座とする文学群――〈老〉を根底とする天野律子(「黄色い潜水艦」)・野上志乃の小説(「りりっく」)。親族のいない老人の〈死〉を描く井上淳の小説(「まがね」)。〈死〉を凝視する本多寿の詩(「サラン橋」)》
投稿者:ひわき 投稿日:2019年 9月26日(木)10時41分55秒
「西日本新聞」9月26日(木)朝刊「西日本文学展望」茶園梨加氏筆
題「田舎暮らし」
椎窓猛さん「村」(『奥八女山峡物語』書肆侃侃房)
佐々木信子さん「波紋」(第7期九州文学47号、福岡県中間市)、汐見弘子さん「しょっぱい骨」(「筑紫山脈」36号、福岡県久留米市)
水木怜さん「ななかまど」(「照葉樹二期」16号、福岡市)、古岡孝信さん「夏の終わる前までに!」(「二十一せいき」百号特別記念号改訂版、大分市)、江雲征人さん「短歌の好きなロシア文学者」(「第7期九州文学」47号)
2019年9月 1日 (日)付「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。
同人誌評「図書新聞」8月31日=越田秀男氏
ーー1部抜粋ーー『夜を漕ぐ』(葉山ほずみ「八月の群れ」68号)――双子の姉弟、弟がクローン病を患い、小腸から大腸に及ぶ大手術を受ける。手術後の夜、姉は病院から、母を付き添いに残し帰宅、の途中、焼肉屋に寄りホルモンを注文。腹減った? 切除された弟の腸管と牛の腸を引き比べるため。姉は自分の健康体が反って引け目となり弟の臓器提供者たらんことを切望している。〝夜を漕ぐ〟とは生と死の寄せては返す波に舵を取りながら漆黒の川を渡る姉弟の姿である。
『絹子の行方』(倉園沙樹子「民主文学」7月号)――なんとか自立に近い日常をおくる独居老人「絹子」は、地域行政の〝自立を促す〟とかいう勝手な都合で、自立的日常を奪われ、息子夫婦の家に引き取られる。そのストレスが認知症スパイラルへ。ーー瞠目すべきは、認知症の進行を外部観察により捉えるのではなく、絹子の内側から意識の崩壊過程を描き切っているところだ。
『花の影』(大巻裕子「北陸文学」83号)――主人公はトラック野郎から身を立て運送会社を設立運営し四十年。その手足、頭脳として支えた妻が、肺がん末期に。キャンピングカーで妻の故郷、鹿児島・知覧へ。その地で臨終を迎える。以後、妻の思い出をはじめ主人公の人生全ての像が走馬灯のように回転しておさまらない。
『羊腸の小径』(「伊藤仁美」じゅん文学100号)――〝羊腸の小径〟は箱根の山道! さにあらず、人間の腸管。主人公は近所付き合いのトラブルで、体調を崩した、とは早合点、実は大腸がんだった! 無事生還したが、心と体と頭のこんがらがりの一例。「じゅん文学」は100号の節目。井坂ちからさんは、四半世紀におよぶ戸田鎮子さんの主宰者としての活動を讃えねぎらう中で「書き続けていれば人は老いず、読み続けていれば人は死なない」。
以下の二作品は村の姿、戦後編と現代編。
『雉撃ち』(宇江敏勝「VIKING」822)――舞台は和歌山県近野村、戦後四年経過。村唯一の宿屋に婿入りした男が妻を身籠もらせて出征、無事誕生も、婿は知らせを受けた後生死不明に。妻は戦後、別の男と事実婚、そこに婿が生きて帰ってきた。以上は物語の傍流で本流は雉撃ち。臨場感あふれる描写力。物語の核心に〝芝刈場〟。何を変え何を守るか、時代を超えた課題が突きつけられる。
『ポスティングの朝』(高橋道子「麦笛」17号)――主人公(匡子)の実家は農家。夫は匡子の父が亡くなると脱サラし農家を嗣ぐ。実家暮らしに舞い戻った匡子は自治会長を押しつけられ六〇戸もの集落へのお知らせ配り。ポスティングとはプロ野球の大リーグ移籍ルールのことではなかった。この作業を通じ衰微する村の様子が記述される。なぜ? 天明の大飢饉―東日本大震災の記憶。村の時空を巧みに描いた。
以下の二作品は原体験とその表現が論じられる。
林京子と言えば長崎被爆体験を描いた『祭りの場』、そうそう、中上健次に〝原爆ファシスト〟と罵られたこともある――こんな浅薄な知識で分かった風になられては困る、と書かれたのが『上海そんなに遠くない』(松山慎介「異土」17号)――「日中戦争の時代に中国人と先入観なく遊び、生活した」〝ありのまま〟の上海、林京子の原風景――を下敷きに『祭りの場』を読み直せば、新たな発見がある。
広島の被爆体験を描いた小説には大田洋子『屍の街・半人間』、原民喜『夏の花』。松山さんはこの二作品との対比も的確に論じている。そして原民喜と、アウシュヴィッツ体験を記したプリーモ・レーヴィを重ねて論じたのが『天命と使命について』(青野長幸/ 23号)。原の言葉「コノ有様ヲツタエヨト天ノ命」と、レーヴィの「押しつけられた役目」、両者の〝天命と使命〟が突き合わされる。原体験の風化に抗す! (「風の森」同人)《参照:認知症スパイラルを意識の内側から描く(「民主文学」)――原風景“上海”から林京子を読み直す(「異土」)》
投稿者:ひわき 投稿日:2019年 9月 1日(日)15時19分29秒
「西日本新聞」8月30日(金)朝刊「西日本文学展望」茶園梨加氏筆
題「現実との格闘」
志田昌教さん「からゆき初音」(「長崎文学」91号、長崎市)、宮本誠一さん「慰留地」(「詩と眞實」842号、熊本市)
くまえひでひこさん「赤い夕陽の満州」(「長崎文学」91号)、古庄ゆき子さん「川島つゆと川島ゼミの面々」(「航路」62号、大分市)
2019年8月16日 (金)付「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。
同人雑誌季評「季刊文科」第78号=谷村順一氏
--人生の細部ーー《対象作品》津木林洋「フェイジョアーダ」(「せる」第110号・大阪府)/中村徳昭「裸梢」「梅干茶漬け」(「30」14号・東京都)/水口道子「親切な隣人」(「あらら」第10号・香川県)/沢口みつを「縄文の祀り」(「こみゅにてぃ」第104号・埼玉県)/鮎沢しほり「アゲハチョウ」(「樹林」vol.650・大阪府)/中川由記子「ほのか」(「季刊午前」第57号・福岡市)/瀬戸みゆう「墓じまいの夜」(「(「半月」第9号・山口県)/刑部隆司「セーラー服じいちゃん」、池戸豊次「春の獅子」(「じゅん文学」第99号・愛知県)。
投稿者:ひわき 投稿日:2019年 8月 1日(木)11時21分39秒
「西日本新聞」7月31日(水)朝刊「西日本文学展望」茶園梨加氏筆
題「題名」
寺井順一さん「紫の雨に濡(ぬ)れて」(「西九州文学」42号、長崎県大村市)、山川文子さん「アイスキャンデー」(「佐賀文学」36号、佐賀県嬉野市)
川村道行さん「FAIR & UNPREJUDICE」(「海」22号、福岡市)、六月田語さん「個室の窓から」(「風」21号、福岡県筑紫野市)、西浜武夫さん「誾千代姫 第二話」(「ほりわり」33号、福岡県柳川市)
「草茫々通信」13号(佐賀市)
2019年7月31日 (水)付「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。
同人誌時評「図書新聞」(8月3日)=評者・志村有弘氏
(一部抜粋)桜井克明の「一日百円駐輪場」(「残党」第48号)が、異質のふたりの人間像を描き分け、人生とは何かを考えさせられる、小学校と大学を共にした浦山と落合。落合が「くされ縁」と称したように、ふたりは相性が悪かった。浦山はかつて学問の世界に専念したことがあったけれど、今はK市で駐輪場を営む。三年前に母が死に、遺産相続で妹たちと争うことになり、借金ができた。一方、名古屋の会社で出世した落合は、三年前に妻を亡くし、K市に戻って息子や孫と住む家を新築した。前半では不遜とも見える浦山の姿が描かれ、落合の吝嗇で小人物的人間像も記される。後半では落合の視点で学生時代の浦山の「唯我独尊」ぶりが示され、「自分は俗人とは違うというプライド」を持った、「文学馬鹿の典型かも」とこきおろす。裁判の不合理や大学紛争ではじき出された不運も示される。しかし、背後に作者の醒めた眼。力作である。
花島真樹子の「虹のかなたへ」(「遠近」第70号)は、女優の死を描く。老人ホームの住居人石堂ゆりえ(舞台女優・七十六歳)が交通事故死した。ゆりえは舞台女優よりテレビの出演で知られていた。死ぬ二日前、施設の職員戸田に不倫が原因で過去二度の自殺未遂をしたことを語った。戸田が、脇役で不満はなかったのかと訊くと、「仕方ないじゃない、だって私は女優ですもの」と応えたゆりえの悟りきった姿。「五十年遅く生まれていて戸田さんに会えていたら」と告げるゆりえの心情が哀れ。ゆりえは金も尽きていた。しかし、女優として精一杯生きて自殺したのだ。読後の寂寥感とは別に、爽やかな抒情を感じさせるのは、作者の伎倆。筋の展開も文章も達者だ。
粕谷幸子の「あいまいなわかれ道」(「全作家」第113号)は、「彼」(異名遠山総代君)の風変わりで、どこか寂しい言動が印象的だ。彼は「わたし」の夫と同じく旧制五中(小石川高校)の出身で、入学式では宣誓文を読んだほどの人物。いつも酒を飲み、就職もせず、小石川高校にふらりと現われ、一時間ほど座り込んだりし、月に一、二度、酒気を漂わせながら「わたし」の家にくる。彼の妻アキコが、彼が再婚するので別れることにしたと告げにきた。その彼が脳梗塞で他界した。葬儀のときに見た遠山の新しい妻は、アキコが言うような醜女ではなく、礼儀作法もわきまえていた。アキコの言葉の謎。佳作の短篇小説。
臼田紘の「クラスメート」(「飛火」第56号)は、大学時代のマドンナ・中村彩子の学生時代とその後が、旧友の話から示されてゆく。作品の語り手である貞夫も彩子への思いを抱き続けていた。貞夫は彩子への思いから、彩子のそばにいた土屋郁代と儚い関係を持ったこともあった。その郁代は癌で他界していた。彩子に対する山崎彬の男らしい真摯な行動。そうしたことが静かな、丁寧な文章で展開する。人生の甘酸っぱさも漂う、良質の作品。
森下征二の「泰衡の母」(「文芸復興」第38号)藤原泰衡の首級に残る傷痕の謎解きが興味深く、泰衡の母(成子)の気丈な姿も印象的だ。成子を〈国衡の妻〉というだけではなく、〈泰衡の母〉である点を注視しているのが見所。また、秀衡が国衡の許婚であった成子を「奪い取った可能性」という指摘も面白い。
エッセーでは、「月光」第58号が反骨の歌人・坪野哲久特集を組む、福島泰樹の哲久の生涯を綴るエッセーをはじめ、作品論、坪野を詠んだ歌などが掲載されていて貴重。「脈」第101号が詩人勝連敏男の特集。兄の勝連繁雄や川満信一らが勝連のありし日を伝えている。比嘉加津夫の「詩だけが人生であった」という言葉が、勝連の全てを象徴しているように思われる。(相模女子大学名誉教授)
投稿者:ひわき 投稿日:2019年 6月30日(日)10時03分56秒
「西日本新聞」6月28日(金)朝刊「西日本文学展望」茶園梨加氏筆
題「オリンピック」
波佐間義之さん「跪(ひざまず)いて輩の転生を叫ぶ」(「第七期九州文学」46号、福岡県中間市)、あびる諒さん「異和人狩り」(「詩と眞實」840号、熊本市)
田ノ上淑子さん「夏の咲顔」(「原色派」73号、鹿児島市)、近藤義昭さん「偕老(かいろう)同穴」(「ら・めえる」78号、長崎市)、仁志幸さん「夜明けの子守歌(一)」(「龍舌蘭」198号、宮崎市)
投稿者:ひわき 投稿日:2019年 6月 3日(月)09時46分12秒
「西日本新聞」05月31日(金)朝刊「西日本文学展望」茶園梨加氏筆
題「女性の裁量」
江藤多佳子さん「ヒルクレストホテル」(「南風」45号、福岡市)、野沢薫子さん「モーニングサービス」(「長崎文学」90号、長崎市)
西田宣子さん「花ぐらし」(「季刊午前57号、福岡市)、角田眞由美さん「螢の村」(「詩と眞實」839号、熊本市)、「宇佐文学」は麻生豊(宇佐市出身)にちなんだ作品を公募
2019年5月28日 (火)付「文芸同士会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。
同人誌評「図書新聞」(6月1日)評者・越田秀男氏
(一部抜粋)「あるかいど」の佐伯晋さんは昨年のGWにタンザニアを訪れ、旅行記『クレーターの底で』を発表(65号)、その末尾のマサイの格言がおもしろい――「孤独と危険は見分けにくい」(孤独でいることは、危険に直面していることと同じで、不吉である‥佐伯さんの解釈)。木枯し紋次郎はカッコ良かったが、実際の人間は〈孤独〉と〈群れ〉の両端の間を右往左往、右顧左眄している。
『親切な隣人』(水口道子/「あらら」10号)――一人息子が犬の武蔵を残して東京に出てしまうと、主人公は妻に家庭内離婚を迫られ、ふて腐れて承諾。物語前半の狐憑きの話も後半を暗示しおもしろい。家庭内離婚、一度試してみたら?
『岩陰の金魚』(小川結/「穀雨」24号)――少女らの性的稚戯はごく自然な行為。しかしそれが思春期まで、となると……主人公と従姉の場合は従姉が義父に性的虐待を受けていた。それが主人公に感染して男に対する強度の人見知りに陥っていた。従姉は自分の姿を井伏鱒二の『山椒魚』に喩えた。
『春の獅子』(池戸豊次/「じゅん文学」99号)――神戸育ちの主人公のキシは、大震災と婚約者の不倫を契機に母方の祖母の家(岐阜・郡上)に身を寄せる。やがて奥美濃に住む幼なじみと結婚、子を授かることなく8年……この村に食い詰めてやるかたなく〝叫ぶ男〟に変じた鼻つまみ者が出現。キシはなぜかこの男に同情する。根に流産した元婚約者との児への思いが。
『成人―続・ミタラシ―』(南奈乃/「てくる」25号)――母・姉妹の母子家庭完結編。姉はようやく生活の道を開くも、妹は離婚調停中。二十歳となり、母親に元亭主から養育費打ち切りの連絡、わずかな繋がりが切れた。母娘にまとわりつくストーカー男、彼も母子家庭だったのだが、母が急死、二人から身を引く。娘に自立の心が芽生え「ママこそいい加減に、自分の人生を生きてよ」。
『行く人』(城耕悠/「南溟」6号)――「谷をはさんで、南北に二つの丘がある」、一方は「丘の上の葬祭場」、一方は「天空農園」。都会を逃れて農園を拓いた女性と、死に直面した建設会社会長との交情と看取りの物語。幼少期の記憶と大震災、母の死を重ねた。『行く人』の丘も死と生の象徴だが、なんとも羨ましい看取られ方。
『暗い谷へ』(糟屋和美/「ふくやま文学」)――遠い地の小学校に転校した主人公は、人見知りを解消してくれる明るい少女に出合った。少女の父親は戦地で結核に罹り歩行不全、母親が夫・姑・四人の子の生活を支えていたが、支えきれず出奔。夫は自殺。一家離散。空き家には兎の縫いぐるみが、主人公が遊び飽きたものを母が少女にプレゼントしていた。明るい少女と無残な縫いぐるみ、明暗の対比。
『西大門』(小松原蘭」/「季刊遠近69号)――妓生ツアーが盛んなバブル期、商社外商部の父親は妻と娘の私を伴い韓国に。妻娘の日常は雇ったメイド任せ。私はその娘と仲良しに。だが台風と洪水でメイド親娘の家が倒壊、再建に父は娘を買った!私は15年後に再び韓国を訪れる。近代化顕著な韓国社会、日本に向けた愛憎の一断面が活写される。
『フェイジョアーダ』(津木林洋/「せる」110号)――医者の息子二人は順調に跡継ぎの道を進んだのに、三男は座礁し、退潮期の学生運動に加わる。内ゲバ、殺人幇助罪で指名手配。ストリップ小屋に身を隠すと、日系ブラジル人のダンサーと懇意に。彼女の手料理がフェイジョアーダ。その後警察が劇場に踏み込み彼女は強制送還。彼は懲役刑。出所後、必死に彼女を探すがみつからず……彼はブラジル料理店を自前で開き、今も彼女の帰りを待っている。
同誌では、益池成和さんが『義歯を洗う』を〝エッセイ〟として発表。仲間に、小説と随筆の違いを問われた。小説は「言うべきこと」を「物語に仮託」する。この婉曲法は、なかなか便利ではある。だが益池さんはこの仮託が苦手になってきたと編集後記で書いている。年のせい? 〝義歯を洗う〟は母の義歯、介護・介助の象徴だ。切実な思いを表現化しようとするとき、仮託的方法が逆に煩わしくもなる、と理解した。(風の森同人)《参照:家族という小さな群れの中で(「あらら」「穀雨」「じゅん文学」)・韓国社会の日本人に向けた愛憎の一断面を活写(「季刊遠近」)》
投稿者:ひわき 投稿日:2019年 4月23日(火)15時32分24秒
「西日本新聞」04月22日(月)朝刊「西日本文学展望」茶園梨加氏筆
題「老いと死」
木下恵美子さん「山野行の闇」(「詩と眞實」838号、熊本市)、井本元義さん『廃園』(書肆侃侃房)
島夏男さん「白猫伝」(「照葉樹二期」15号、福岡市)、大野光生さん「キジ猫のお話」(「飃」110号、宇部市)、藤山伸子さん「水難は三度来る」(同)
「文学界」4月号より九州芸術祭文学賞最優秀作「兎(うさぎ)」平田健太郎さん
2019年4月21日 (日)付「文芸同士会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。
同人誌評「図書新聞」(2019・4・20)志村有弘氏
(一部抜粋)真弓創の「骨喰と龍王」(「茶話歴談」創刊号)に感動。大友宗麟に取り入るべく、大友家の宝刀骨喰を松永久秀から貰い受けようと苦心する毛利鎮実とその娘。後半登場の大内輝弘も作品に厚み。
同じく「茶話歴談」掲載の天河発の「愛怨輝炎」は、『本朝法華験記』など諸書に伝わる安珍清姫伝説(道成寺縁起)に取材したもの。清姫の母が白蛇で、亡母が姫に取り憑いているとする着想が面白い。他の戦国期や幕末を舞台とする作品いずれもが秀作・佳作。
たかやひろの「越前松平転封」(「港の灯」第11号)は、松平直明の明石転封を舞台に二人の武士の姿を描く。三十郎は妹小夜を寅之助に託すことと武士の意地で命を落とし、寅之助は脱藩する。背後にある家老の策謀。江戸の下町に明るく生きる寅之助と小夜の姿が救いだ。文章もうまい。
難波田節子の「驟雨」(「季刊遠近」第69号)が、高校受験を控えた女子中学生の心裡を描いた力作。中学生の「私」が大人に接する処世術を身につけていることに、とまどいを感じないでもないが、ともあれ、巧みな表現は難波田ならではの名人芸。
源つぐみの「方位磁石」(「函館文学学校作品2019」)は、加代子の伯父(母の姉の夫)に対する恋情を綴る。伯父は針路を間違えるな、と訓す意味で方位磁石のキーホルダーを残していったわけではあるまいが、優れた構想力を感じさせる作品だ。
吉永和生の「静かなるの向こう側」(「海峡」第41号)は、家庭小説。吝嗇で奪衣婆と渾名されていた政子婆さんが死んだ。死ぬ頃は誰も寄りつかなかったのに、あとで捨て猫を育てていたなど、意外な一面も。取り壊される予定の婆さんの家は残されることになり、猫は孫が家に連れていった。家族は、「奪衣婆」という呼び名を「政子おばあちゃん」に格上げし、その仏壇を拝んでいる。文学世界では、こうした心温まる作品も大切だ。
エッセーでは、上野英信特集を組む「脈」(第100号)が、松本輝夫や比嘉加津夫らの上野論を収録していて貴重。私には〈筑豊の上野英信〉という印象が強いのだが、上野朱が優しさ溢れる文章で「父の心とペンは沖縄によって解放された、と思う」・「父よ、喜ぶがよい。あなたの大切な沖縄の友は、今日もあの日のままの姿だ」と綴る言葉に感動を覚える。
若い力を感じる「翡翠」が創刊された。同人諸氏の健筆・活躍を期待したい。「AMAZON」第493号が中道子、「鬣」第70号が大本義幸の追悼号。ご冥福をお祈りしたい。(相模女子大学名誉教授)
2019年4月18日 (木)付「文芸同士会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。
同人雑誌季評「季刊文科」第77号(3月31日発行)谷村順一氏
自分というキャラクター
≪対象作品≫
望月なな「おしなべてまりか」(「mon」vol.13・大阪府)/和泉真矢子「まねき食堂」(「メタセコイヤ」第15号・大阪市)/岩崎和美「主婦Kの日記」(「浮橋」第2号・兵庫県)/伊藤宏「波が教えてくれた」(「樹林」vol.646・大阪府)/猿渡由美子「うらからやから、そしてウチムラ」(「じゅん文学」第98号・愛知県)=本誌転載作品/曹達「炎」(「浮橋」第2号・兵庫県)/おのえ朔「ミフユさん」(「せる」第109号・大阪府)/猿川西瓜「五百万円」(「イングルヌック」第4号・大阪府)/小石珠「白い花」(「P.Be」NO.5・愛知県)/山岸とみこ「ナベを買う」(「こみゅにてぃ」第103号・埼玉県)。
投稿者:on 投稿日:2019年 4月 6日(土)21時55分7秒
「毎日新聞」西部版03月24日(日)朝刊「同人誌季評〈小説/1~3月〉」古閑章氏筆
題「再生/一期一会の大事」
鷲津智賀子さん「今年の秋」(「火の鳥」第28号)上村小百合さん「潮風の便り」(「火の鳥」第28号)小河原範夫さん「ガンバッテ、生徒会」(「ガランス」第26号)武村淳さん「天井の花びら」(「詩と真実」第835号)右田洋一郎さん「ブロンド」(「詩と真実」第836号)くまえひでひこさん「雅羅馬」(「長崎文学」第89号)箱嶌八郎「ほくろ」(「九州文学」第44号)佐々木信子さん「ヤマガラの里」(「九州文学」第44号」)今給黎靖子さん「華は東方で咲きたい」(「九州文学」第44号)木澤千さん「本望」(「九州文学」第44号)
このほか、属識身さん「インパン」(「文芸山口」第343号)立石富生さん「てんぷら、つくる?」(「火山地帯」第195号)有村信二さん「白い秋」(「海」第21号)中野薫さん「巡査の恋」(「海」第21号)山田キノさん「美しき景色」(「海峡派」第144号)西村宣敏さん「雪の記憶」(「海峡派」第144号)
投稿者:ひわき 投稿日:2019年 3月28日(木)11時04分40秒
「西日本新聞」03月28日(木)朝刊「西日本文学展望」茶園梨加氏筆
題「震災と不気味なもの」
北原政典さん「揺れる」(「詩と眞實」837号、熊本市)
今給黎靖子(いまきゅうれいのぶこ)さん「狸(たぬき)の故郷は」(第7期「九州文學」45号)、岬龍子さん「崩れる」(第7期「九州文學」45号)
雲江征人さん「敗戦ゼロ年の家計簿」(第7期「九州文學」45号)、藤山伸子さん「水難は三度来る」(「飄」110号、山口県)
投稿者:ひわき 投稿日:2019年 2月28日(木)15時22分39秒
「西日本新聞」02月28日(木)朝刊「西日本文学展望」茶園梨加氏筆
題「過去」
立石富生さん「てんぷら、つくる?」(「火山地帯」195号、鹿屋市)、鈴木比嵯子さん「天使の歌声」(「ガランス」26号、福岡市)
遠藤博明さん「シャーロキアンのカウントダウン」(「日曜作家」25号、大阪府茨木市)、野原水里さん「そうぞうの時間」(「ガランス」26号、福岡市)、片科環さん「東雲荘グラフィティー」(「独り居」7号、福岡市)、古岡孝信さん「山が哭く」(「21せいき」100号記念号、大分市)
「あしへい」21号(北九州市)同人誌「街」特集より玉井史太郎さん「手談-あしへい打碁集-」
2019年2月21日 (木)付「文芸同士会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。
同人誌時評「図書新聞」(2月16日)評者=越田秀男氏
(一部抜粋) 『山よ動け女よ死ぬな千里馬よ走れ』(笙野頼子/「民主文学」1月号)――編集者のインタビュー企画、「文学は激変する社会状況に対し何が出来るのか」に対し、爆竹弾的文章にして返した。ブチギレた? いや理性的・理知的正論――「文学であろうがなかろうが人間は出来ることしかしない………出来ないことは出来ない」「文学はてめえらの兵隊じゃねえよ」「本当の文学は捕獲されにくい」「ジャーナリズムがもうぴったり蓋をされている時代でも……生々しい「嘘」……「大嘘」をかますから」。
『美雨』(河合泰子/「夢類」26号)――「あたしたちくらいの年頃になると、ある日突然、死が腕を伸ばしてくる」、でも寄ってくれるのだから「幸せ」。そんな時、身元不明の娘が闖入、居着いてしまう。娘は寡黙だが、居てくれるだけで幸せ。やがて親友の死の知らせで狼狽える。娘は野良猫だった。
『棕櫚の木のそばで』(谷本好美/「風土」18号)――四万十川を臨む限界集落、歯抜けの家々、ガラケーが役立つ。超高齢村人たちの姿を土地の言葉で明るくユーモラスに描く。
『ヤマガラの里』(佐々木信子/「九州文學」7期44号)――病者の心象風景、ムンクの叫び声?――重い鬱病の主人公は叔母の家に転地療養するものの、叔母はじめ医師、カウンセラーとも意思疎通には厚い氷壁が。
『山里に暮らして』(松葉瀬昭/「槇」41号)――第二の人生は小説書きと自給自足生活。となれば非加工の自然が押し寄せてくる。とりわけ餌を求めて田畑を荒らす動物たち。彼らの高度な知的レベルに驚く。この有り様を捉える作者の観察眼にも驚く。
『終戦』(三咲光郎/「季刊文科」76号)――永井荷風、谷崎潤一郎、横溝正史の、終戦までの数日の姿と、玉音放送の受け止め方を描写する。永井は、死に追われる恐怖が去った後の喪失感と得体の知れない不安。横溝は昨夜見た幻影――見知らぬ子らの笑い声、池に沈む子の死体、池のさざ波――を反芻する。谷崎も幻影に現れた霊の群行に想いを巡らせ、「逃げ出したのか。祖霊や諸々の霊魂がこの国を沈む船のように見捨てて去っていくところを、自分は見たのではないか。」
『童謡のセンチメント』(永野悟/「群系」41号)――童謡百年特集、赤い鳥創刊から百年。吉本隆明は「ナショナリズム」(現代日本思想体系)の解説で童謡の歌詞から大衆のナショナルな感性の変遷を抽出した。そのセンチメントを賞味。例えば『浜千鳥』は波の間に間に子鳥が親鳥を探す可愛らしい風景?――「波の国から生まれでる」「月夜の国へ消えてゆく」は明らかに、生命の生死を暗示している。永野は「“死”ということばは知らなくてもよい。童謡の世界では、かなたに、消えていくということでいいのだ」と子の心に寄り添う。
『大手拓次の言語観と蛇の表象―『悪の華』を通じて―』(畠山達/「流域」83号)――磯田光一は最後の著作『萩原朔太郎』の中で、『悲しい月夜』を解釈するに当たって、“犬”のイメージの変遷を万葉期から解き明かした。
『詩歴』(池戸豊次/「じゅん文学」98号)――随所に“蛇”のイメージを織り込み、まさにエロスとタナトスの世界。幼児から少年、青年へと成長する階梯ごとに、幼なじみ、病弱な従妹、年上の女、恋人を配し、そして恋人の死。姉に身の哀れを告げると「これではだめよ」「何が?」「カーテンが煙草で汚れているし、布団が湿っている」――空気入れ替え掃除洗濯開始! (「風の森」同人)
投稿者:ひわき 投稿日:2019年 2月 1日(金)16時58分41秒
「西日本新聞」01月31日(木)朝刊「西日本文学展望」茶園梨加氏筆
題「母」
鳥海美幸さん「支配」(「龍舌蘭」197号、宮崎市)、有森信二さん「白い秋」(「海」第2期21号、福岡市)
樋口かずみさん「そのバラとは……」(「文芸山口」343号、山口市)、黒木日暮らしさん「黄金の間」(「龍舌蘭」197号)、井本元義さん「静かなる奔流」(「海」第2期21号)
「龍舌蘭」197号は久保輝巳さん追悼特集号
2019年1月25日 (金)付「文芸同士会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。
同人誌時評「図書新聞」(2019年1月26日)評者・志村有弘
<一部抜粋>
根場至の「啄木のDNA」(「私人」第96号)。「私」は死んだ父を憎んでいた。母に暴力を振るい、母の姉との許せない関係……。父が造った山小屋にあった石川啄木の歌集に、父は気に入った歌に丸印を付けていた。「私」は父との共通点があることを恐れながら、父の付けた印が見えないようにして、印を付けていった。その結果『一握の砂』では六首、『悲しき玩具』では共通のものは一首もなかった。好きな歌を探そうしたのは、「父から引き継いだ感性」が自分の内に「養われている」のを「確かめたかったのではないか」と思う。これが作品の梗概。心の奥底に潜む父への思い。佳作。
波佐間義之の「スモモ」(「九州文學」第567号)は、少年時代から好感を抱いていた一つ年下のヒロちゃんとの別れを綴る。「ぼく」は陸上競技の力で就職できたけれど、壁にぶつかり、ヒロちゃんへの思いがつのる。ヒロちゃんとトシオの結婚という残酷な結末。「ぼく」の心に残る「甘酸っぱ」さと「顔を顰めてしまいたくなる」憎悪の交錯。青少年時の恋の苦さ。読ませる作品である。
木下径子の短編「詐欺に遭う」(「街道」第32号)は、銀行協会の者という人物にカードを渡し、預金を引き落とされた話。暗証番号を知られていた不気味さ。男は捕縛されたけれど、警察は犯人が暗証番号を知り得た理由を教えてくれない。「わたし」の心には不愉快なもどかしさが残ったことだろう。詐欺の恐怖を考えさせられる作品だ。
山口道子の「島崎商店」(「南風」第44号)も詐欺事件を扱う。煙草・菓子等を売る島崎商店のおばさんが詐欺に遭った。犯人は孫の友人で、女友達が事故を起こした車の修理代をなんとかしたいと思ったのだという。これまで交流のない広美(作品の語り手)にバス代を貸し、孫の友人を信じて五十万円を渡してしまうおばさん。孫の友人は根っからの悪人ではないが、罪を犯した瞬間、その人は悪の烙印を押される。広美の情報が詐欺グループの名簿に記されていた不気味さも看過できない。平易な文体で作品を展開させる技倆が見事。
吉田慈平の「鬼の住む世界」(「風の道」第10号)の主人公である鬼は何かのはずみで人間世界に堕ちたらしい。作者は丁寧な文章で、人間世界に棲むものたちの醜さ、したたかさを描こうとする。地獄という言葉を聞いて懐かしく思う鬼が可愛らしくさえ見える。
奥野忠昭の中篇「世に背く――西行出家遁世秘録」(「せる」第109号)が力作。十六歳から二十三歳(出家時)までの佐藤義清(西行)の純朴な風貌がよく描かれている。藤原秀郷の亡霊が登場するように「内容はすべてフィクション」というが、『山家集』をはじめ、中古・中世の歌人の歌集を随所に引き、義清の言動を素直な文体で綴る。待賢門院と義清ふたりの交流の姿も美しく描かれ、行尊・西念など仏教世界の人、賀茂一族の陰陽師の登場も作品に厚みを与えている。
「どうだん」は、昨年、通巻八五二号を重ねた。どうだん短歌社が始まったのは発行人清水都美子(創刊者清水千代三女)が小学三年のとき。「坂道を車を押して登り行く年毎にこの坂きつくなりたり」という年輪を示す都美子の歌。同人誌は続けることが肝要だ。「虫のくせに優雅な名をもつしらが大夫栗の大樹を音たてて食む」と、軽妙な歌を詠む編集人吉岡迪子の努力も称賛に価する。
麻生直子が詩集『端境の海』で、北海道新聞文学賞(詩部門)を受賞した。詩誌といえば、「コールサック」も文学を通して〈平和〉を願い、世の中の不条理を訴え続けている。(相模女子大学名誉教授)