同人誌評・2020年

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「図書新聞」HPの「連載」ページ掲載「同人誌時評」
●「全作家」HPの「文芸時評」横尾和博筆         



投稿者:ひわき  投稿日:2020年12月29日(火)12時28分28秒
「西日本新聞」12月25日(金)朝刊「西日本文学展望」茶園梨加氏筆
題「蝶」
山本博幸さん「墓標の庭」(「西九州文学」45号、長崎県大村市)、仁志幸さん「夜明けの子守歌(ララバイ)」(「龍舌蘭」201号、宮崎市)
鳥海美幸さん「渇望」(「龍舌蘭」201号)、武村淳さん「三角発島原行フェリー」(「詩と眞實」858号、熊本市)、冬乃玄さん「年上の女」(「筑紫山脈」39号、福岡市)

12月 4日 (金)付「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。
同人誌時評「図書新聞」(12月5日)=評者◆越田秀男氏
 --同人諸誌において戦争体験は世代を継ぎ、豊富な作品を生み、現代の闇をも照らしている。
 「その日の太陽」(黒田康嗣/「舟」180号)――黒田さんが28歳の時に父を想い書いた詩――〈私は息子として理解したいのだ/父の青春を/15で予科練に入り、18で特攻隊の生き残りとなった/その父の青春を/17で死を覚悟し、18で思いがけない余生を与えられてしまった父の青春を…略…あゝ 私などに一体何がわかろうか…略…〉。そして黒田さんは半世紀の時を重ね父への想いを書いた。
 「戦没学生の歌を読む――きけ わだつみの声より(2)」(中西洋子/「相聞」72号)――ヤップ島で人間魚雷となり戦死した塚本太郎は歌を二首遺しており、そのうちの一首――〈いとけなき昔の夢よ青葉かげ微笑み思う戯れしひと〉。中西さんの評「幼い頃の夢をみているのだろう。遊び興じているひとは誰か…略…」。
 「ドライアイス」(安海泰/「てくる」27号)――普段優しく接してくれていた父は、〈私〉が防空壕の遺構で遊び、父に得意気に報告したことを境に、父との間に氷壁がそそり立ってしまった、と思い込んできた。が、父の通夜で、伯父が語った「終戦直前の酷い経験」を聞き氷解する。父の勤める軍事に関わる研究所が空襲を受け、全員防空壕へ、爆撃で砕け散る。父だけが重要書類を持ち出そうと戻り難を逃れて、スパイ呼ばわり……。
 「雪に埋もれた家」(花島真樹子/「季刊遠近」74号)――母は亡くなる前、これまで秘匿していた事件を語りはじめた――終戦の年の秋、母が病で逝く。父は出征のまま、母方の伯母に弟とともに引き取られた。事件とは、肺炎で死んだ弟の骨を片付けてしまおとした伯母を階段から突き落とし死亡させたもの。敵役の伯母の理不尽な行為に及んだ背景も、なるほどと思えるよう描き、時代を語る作品に仕上げている。
 「掌忘却せず」(竹中忍/「北斗」670号)――タイトルの〈掌〉とは鉄拳の意で、軍隊組織の上意下達貫徹のための方法だ。行政機関に勤める主人公。上司は戦時中、新兵教育の教官だった。戦時体験が「良心を疼かせて孤影を与えて」いるものの、鉄拳教育を肯定する。その正体は責任回避システムであり、戦後もそのまま受け継がれ、現代政治はその痛みすら忘れてしまった。
 「納骨まで」(乾夏生/「時空」50号)――「父は僕の生後七十日目に出征し、終戦の三日前に戦死」、しかし遺骨も遺品もなく戦後14年経て戦死広報を取得、葬儀が行われ、墓と納骨は形ばかり。母は自ら墓を建て父と暮らした秋田・横手の土を骨箱に納めた。母の晩年、墓参りがままならず、住居近くの寺に移す。母は98歳で他界、ようやく「墓は父とおふくろの墓になった」、しかし「僕にとって、父はハナから不在だった」。
 「集骨と空手」(平敷武蕉/「南溟」9号)――「ビッグコミックオリジナル」(2017/11増刊号)掲載の劇画『ウーマク――占領沖縄、サソリ座の下で』(比嘉慂)を紹介。主人公は鉄血勤王隊の生き残り。自己を空手で鍛え、駐留軍に果し合いを挑み勝利、念願の基地内遺骨収集を勝ち取る。平敷さんはこの作品が、米兵が勝者を祝福したり遺骨を見て錯乱する姿を描くなど、普通の人としての側面を捉えていることに着目する。
 「池上永一の文学世界――沖縄文学の新しいシーンを創出する作家」(大城貞俊/「コールサック」103号)――沖縄文学は歴史的惨禍から「時代へ真摯に対峙する倫理的な」表現が主流、その中で突如として「ファンタジックなエンターテインメント小説」が出現した。大城さんは池上作品の特徴の一つとして、登場人物が「カミンチュ、ノロ、マブイ」などであることを挙げる。マジックリアリズムに欠かせないキャラクターではあるものの、沖縄の根源へ、ネドコロへ向かう水先人でもある。
 前出の「時空」に載った『横山総三という男』(大嶋岳夫)も、マジックリアリズムを活用した大人の童話。余命幾ばくもない老人が村おこしに“雪と氷の博覧会”を企図。役所の守旧派を掻い潜って死しても“マブイ”の力で成就させる。
 『永遠をバカにする』(丸黄うりは/「星座盤」14号)――親子三人の家庭、息子は劇画の才あり、将来は、と思ううちに中年。そこに頭は童女、体はボイン(息子が描く少女? と酷似)、年齢50の娘が妻として参入。全く生活力ゼロ、いや大いにマイナスで家庭崩壊、全員ブラックホールへ。サザエさん、ちびまる子ちゃん、永遠なれ!
 同誌の巻頭を飾る詩(『終の刻限』金沢美香)は爺々達の末路を歌う。蝉が「よろめきながらポトリと落ちた」「もう死ぬのかい/いいや まだ」と踏ん張っているうちに烏がバリバリと「捕えた獲物を砕いて呑む」。「烏の顔が振り向いた」と〆たが、この後に烏の一言を加えたくなった――「何かご用?」。(「風の森」同人)


投稿者:ひわき  投稿日:2020年12月 1日(火)11時43分13秒
「西日本新聞」11月30日(月)朝刊「西日本文学展望」茶園梨加氏筆
題「鳥」
紺野夏子さん「鴉」(「南風」48号、福岡市)、まえだかずきさん「M坑のハト」(「詩と眞實」857号、熊本市)
江藤多佳子さん「すずらん」(「南風」48号)、今村有成さん「アムール」(「詩と眞實」857号)、西村敏道さん「病床夢幻」(「飃」115号、山口県宇部市)、下村幸生さん「あやめ」続編(「宇佐文学」67号、大分県宇佐市)

投稿者:ひわき  投稿日:2020年10月31日(土)14時55分49秒
「西日本新聞」10月29日(木)朝刊「西日本文学展望」茶園梨加氏筆
題「災害の記憶」
齊藤きみ子さん「西海道を〈旅する人々〉」(「小説春秋31号、鹿児島市)、藤代成美さん「一族の終わり 一話(「照葉樹二期」18号、福岡市)
斉藤てる子さん「ベーコンとイルカ」(「詩と眞實」856号、熊本市)、水木怜さん「若葉萌え」(「照葉樹二期」18号)、「小説春秋」より岡村知鶴子さん「こころを売る男」・出水沢藍子さん「お国はどちら?(一)」

投稿者:ひわき  投稿日:2020年 年10月 1日(木)12時02分29秒
「西日本新聞」9月30日(水)朝刊「西日本文学展望」茶園梨加氏筆
題「恋愛」
横山起朗さん「海、またはその先で」(「文学と汗」創刊号、宮崎市)、白石すみほさん「運否の境」(「ふたり」24号、佐賀県唐津市)
右田洋一郎さん「風のテラス」(「詩と眞實」855号、熊本市)、類ちゑ子さん「電子レンジ」(「ふたり」24号)、吉田耕治さんの随筆「我らの遍歴時代、中村哲との半世紀」(「ほりわり」34号、福岡県柳川市)
〈樋脇〉8月に「文学と汗」(宮崎市)が創刊されたとのこと。うれしいです。創刊号には小説のほか詩、評論、写真、イラストも掲載されているそうです。

2020年9月14日 (月)付「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。
同人誌時評「図書新聞」( 2020年9月5日);評者=越田秀男氏
 (一部抜粋)
 「群系」44号では「平成三〇年間の文学」を特集。柴野毅実さんは、リービ英雄を取り上げ、異言語の狭間での思考・表現がグローバリズムの擬制を撃つことに繋がった、と指摘。草原克芳さんは、カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』を中心に、トランスヒューマニズム(人間観の変容/拡張/崩壊=草原)へ向かう潮流を概括。平成年間から21世紀中盤の方向を眺望する論考だ。
 一九三八年創刊の「龍舌蘭」は200号の節目。岡林稔さんは戦後文学の黒木淳吉と阿万鯱人を取り上げ、両者は常に「地方」を起点に「いま・ここ」に戦時をひきつけ、戦争への「たぎる」ような怒りを動力に作品を創出したとし、「同人誌を主たる発表の場とする地方の同人作家であるがゆえに」実現し得た、と同人誌という場の役割と意義を説いた。
  定道明さんは作品集の上梓を重ね重ねて、今回の「ささ鰈」(編集工房ノア・刊)は枯れた文体で庵(物語)を結ぶ。末尾の『ホームまで』は、いよいよホーム入所も、との思いに至った〈私〉。そのホームは、生まれ育ち今も生活する場の川向こうにある。訪れると、逆に我が村の姿、その変遷も一望できる。生誕地と終の棲家候補が見つめ合う。
  以下、剰余の時間を過ごす老人の姿――/> 『映像の彼方』(伊藤礼子/八月の群れ70号)――〈私〉は三十路を目前に、リストラの憂き目に。再就職からも見放され、叔母夫婦が営む食堂の手伝いが当面の便。客の中には、酒で長居を決め込む癖の悪い老人――ところが私は、その爺がTV映像の彼方に、若者でとび職として颯爽と活躍する姿を見つける。高度成長期と今、私と老人、往路と復路が交差する。
 『プリン、さらにバスチー』(田中一葉/カム18号)――五十路を過ぎた〈わたし〉は、離婚した従妹・美久が住まう、夫の抜けたマンションの一部屋を、美久の提案で、間借り・同居を始めた。生活費削減、安全・安心、寂しさも和らぐ。ある日の晩、二人そろっての食事、美久の提案で、鶏肉のポン酢叉焼、わたしはポン酢調達でコンビニへ。食後のスイーツもとレジに並ぶ。と、下水のような異様な匂い、臀部をぐっしょり濡らした老人……。帰り道で祈る「今夜、美久とわたしが夢にさらわれることがありませんように」。
  『逆耳』(国府正昭/海101号)――冒頭、スーパーで山と盛られたパック入り干し柿、その一つ一つを手に取って、舐めるように見ては戻し……穿いているズボンの膝はポコンと膨らみ尻にも黒ずんだ汚れが……この老人を観察していた〈私〉は、老いについて考え始める。後日私は右耳が聞こえなくなる。突発性難聴? 医者が下した診断は“逆耳”。何じゃ? 作品で直に確かめたし。
 『殺して』(張籠二三枝/青磁41号)――〈私〉は学校の先生。冬、通勤途上で不審な老婆に引き寄せられ、「私を殺して!」、家から息子、事なきを得る。早速友人に報告すると「あなたってそういうタイプ」。二月、三年生自由登校、殺して! は忘却の彼方、友人の店に誘われる。レストランにイベント会場を併設、地域のアート活動を夫と支援、自らもグラツィーリス。が、夫が病にたおれ幕引きへ! 急にあの老婆が気になり始める。朝、殺して! の道をたどると、あの家は既に更地。
  『石ころコロ子』童話(河合泰子/夢類27号)――新しい町、ハイツの二階に引っ越してきた〈ミーナ〉は、階下にゴリラじいさんが住んでいることを知る。ドアを開けると大きなゴリラ、縫いぐるみが飛び出す。この爺にだれも近寄らない。ある日お使いに行く途中、川っぷちで石ころを拾っている爺が。一つ貰い持ち帰ると、この石ころがおウチに帰りたいと言い出す……。石はわが民族では神話や民話でなじみ深い、その石ころがキューピットに。
 『Nさんとの七年間』(櫻井幸男/文芸復興40号)――傘寿をこえた〈N〉さんの趣味も石ころ収集。お庭を拝見、見事な配石で草花に調和、石を凝視していると色が微妙に変化、これぞ醍醐味! ところがNさんは変わらないことの魅力を語る――「何十億年と変らず存在し続ける石を見つめていると、∞時空の世界に入り込むような……」。石に比べなんと卑小な人間存在!
 『老而不死(老いても死せず)』(森下征二/同上)――論語で、漢字にして28文字、しかも無礼なジジイと罵られた原壌を“いま/ここ”に蘇らせ、解釈を転倒させた。森下さんは、原壌は荘子の“死生一如”の一途な実践者であるとして、なんと孔子に、臨終にも“道”を行う哲人と褒め称えさせた。「礼記」「荘子・至学篇」を論拠にしている。(「風の森」同人)

投稿者:ひわき  投稿日:2020年 9月 3日(木)11時08分54秒

「西日本新聞」8月31日(月)朝刊「西日本文学展望」茶園梨加氏筆
題「山怪」
内田征伺さん「谷の奥」(「詩と眞實」854号、熊本市)、下村幸生さん「あやめ」(「宇佐文学」66号、大分県宇佐市)
階堂徹さん「チョッター」(「詩と眞實」)
「宇佐文学」は発行人・岩本紘一さん建設の図書館「院内石橋ゆめ本の蔵」が編集・発行所、同氏の連載『平家物語』解読

投稿者:ひわき  投稿日:2020年 8月 3日(月)08時57分29秒
「西日本新聞」7月31日(金)朝刊「西日本文学展望」茶園梨加氏筆
題「ユーモア」
野沢薫子さん「碧(あお)い怒り」(「長崎文学」94号、長崎市)、高岡啓次郎さん「ターミナル」(「海」第2期24号、福岡市)
井本元義さん「エゴイストたちの告白(第2話)」(「海」第2期24号)、宮川行志さん「実録・眼鑑橋縁起『矼の虹』」(「詩と眞實」853号、熊本市)、熊江秀彦さん「ヴィア・ドロロサの怪事件」(「長崎文学」94号)

2020年7月27日 (月)付「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。
同人誌時評「図書新聞」(2020・8・1)=評者・志村有弘氏
(抜粋)■小説では、平井利果の「恋知らず骨もなき兄」(「たまゆら」第117号)が秀作。しかし、悲しい作品。昭和二十年六月二十二日、「ひでにい」(亀井秀二。私の兄)が二十一歳で沖縄の真壁で戦死した。送られてきたのは、白い布にくるまれた骨箱。中には赤児の拳ほどの灰色の石と白木の位牌。むろん、骨のかけらも入っていない。戦後七十年が過ぎた二〇一五年、ひでにいの七十回忌をすることとなり、真壁へ行く。丘陵の山道を登り平地の墓碑に着く。ひでにいの写真や「私」の句「恋知らず骨もなき兄沖縄忌」(第五十一回全国大会特選句一位)と金子兜太が書いた色紙などを並べ、香を焚く。看取る人もなく死んでいった兄を思い、この地で死んだ人や軍馬を「大地が受け止め」たのだが、「大地から 彼等が歌う声がしはしないか」という詩を綴る。ひでにいに「もう死んだんだから」「私らといっしょに家へ帰るんだよ」と心の中で語りかけ、祈る。行間に滲み出る遺族の悲しい思い。作品末尾部分に「戦争は人一人の命を、少しもためらいもなく奪うという現実を見た」という文は真実の叫び。再末尾にある「夏草やわれも大地の居候 登志子」という句も見事。
 水田まりの「青柳町こそかなしけれ」(「日曜作家」第30号)は、函館の歌会で知り合った欅田(東京の女子大で国文学の講師)から水島燈子のもとに興福寺の仏像を見たくなったので、一緒に行きませんかというメールが届いた。燈子は函館で欅田と〓木の話をしたりしたが、夫以外の男性と喫茶店に入ったのは初めてのこと。空港でも話に夢中になり、燈子は飛行機に乗り遅れる。欅田は燈子の乗る名古屋行き最終便の払い戻しをして、チケットを手に入れてくれた。燈子の息子は社会人。娘は結婚して外に出ている。そして企業戦士の夫に守られてきたことも実感している。これから二人は恋に発展するのかどうかは分からないが、物静かな燈子の言動に好感が持てる。佳作。
 樋口虚舟の小説「波の行方」(「飛火」第58号)が読ませる随想的小説。〈随想的小説〉という奇妙な表現をしたが、古代から平安時代末期までの歴史の世界を自在に逍遥しているのを感じる。源三位頼政が扇の芝での自刃した話、「私の」祖父が謡曲を唸り、祖母は頼政の最期の場を歌っていたことなどが記される。作者の思い出が作品に上品なユーモアを醸し出している。宇治川が桂川や木津川と合流する地点に巨大な巨椋池があったのではないかという推定も鋭い。壬申の乱に対する柿本人麻呂の「眼差し」が「憂愁を湛えていた」という指摘も納得できる。鴨長明も「坊さん」という表現で登場する。古典・歴史の幅広い知識、それをサラリと書き流す見事な技倆。
 大森盛和の「笊屋の庸三」(「風の道」第13号)が力作。笊造り五十年の庸三は、妻のお久を十年前に亡くした。庸三はお久の像を彫ってみたくなり、彫ってみたものの、評判は悪かった。庸三はお久の眼を彫りたかった。お久が愛していた蔓薔薇を観察し、一瞬の美を見逃さずに表現することの難しさが分かった気がした。「女人像NO2、または眼」と題する作品は、初めは昨年同様悪評であったが、人々は〈眼〉に吸い込まれるような気がして、言葉を飲み込んだ。うまいのか下手なのかは分からないが、何かが違っていると思い、「庸三は霊に取り憑かれた」、「庸三の眼は、作品の眼と同じだ」と言うものの、馬鹿呼ばわりする者はいなかった。やがて庸三は村の第一号の伝統工芸士となり、最晩年は小動物の彫り物、とりわけ蛙の彫刻家として知られたという。テンポの早い文体で展開する笊造りと彫り物に生きた男、心に残る物語。
 秋田稔の「探偵随想」第一三五号掲載「とりとめのない話」は、往年の大スター片岡千恵蔵や月形龍之介などの逸話、脚本家の比佐芳武の言葉が随所に記される。月形が「難船崎の血闘」(比佐作)の脚本を読んで、比佐に「ありがとう」と言った話、千恵蔵演じる多羅尾伴内シリーズで、伴内が語る「正義と真実の使徒、藤村大造だ」というセリフは第三作「二十一の指紋」からだということも記される。映画通・ミステリー通のエッセイストならではの歴史の重みを感じるエッセー。
 「吉村昭研究」が五十号を重ねた。研究誌が五十号を重ねるのは、主宰の桑原文明をはじめ、同人諸氏の吉村昭に対する深い愛情を示すもの。 「月光」第63号が清田由井子、「北斗」第667号が駒瀬銑吾の追悼号。御冥福をお祈りしたい。 (相模女子大学名誉教授)《参照:
平井利果の戦死した兄への鎮魂を綴る秀作(「たまゆら」)――樋口虚舟の歴史の世界を自在に散策する随想的小説(「飛火」)

2020年7月22日 (水)付「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。
同人雑誌季評「季刊文科」81号=谷村順一氏
 日常とは違う日々を生きるーーー《対象作品》亜木康子「猫道のころ」(「こみゅにてぃ」第107号・埼玉県)/島田勢津子「サークルーゲーム」(「黄色い潜水艦」71・兵庫県)/高琢基「鉄塔の下」(「あべの文学」30号・大阪府)/小澤房子「楓子」(「空飛ぶ鯨」第20号
・埼玉県)/安藤容子「笹の花が咲いて」(前掲誌)/宇野健蔵「太郎と踊ろう」(「じゅん文学」第102号・愛知県)/猿渡由美子「古里人」(前掲誌)/水口道子「消えた男」(「あらら」11号・香川県)/山田佳苗「わたしの右目におっさんが」(「樹林」Vol.6552・大阪府)/衣奈響子「四十九日には」(前掲誌)/瀬戸みゆう「シャラシャラのこと」と「〈ヒト・マウス〉キメラ」(「半月」第10号・山口県)/縣ひとみ「はるさんの時間」(「樹林」vol .652/大阪府)/堀尾俊「いびきのぬし」(前掲誌)/西村郁子「台風」(「せる」第113号・大阪府)/須永和子「叫びたいのに」(「繋」16号・大阪府)/階堂徹「唐揚げ」(「詩と真実」850号・熊本県)/翔明子「柳陰」(「あべの文学」30号・兵庫県)/やぎみわ「それがどうしたん」(前掲誌)

投稿者:にいな  投稿日:2020年 7月16日(木)21時16分13秒
『長崎新聞』〈2020年6月12日金曜日〉「同人誌」欄の記事を紹介します。
(第7期最終号・第8期にバトン)の見出しで『九州文學』第50号通巻573号。巻頭エッセー「地蔵のおこり」(高森保さん)、由比和子さん(福岡県)の長篇時代小説「われ左少将定信なり」、佐々木信子さん(佐賀県)の短篇小説「石蕗(つわぶき)」など、多数の作品を掲載とあります。記者は生活文化部・山下和代さんです。

投稿者:ひわき  投稿日:2020年 7月 3日(金)17時24分7秒
「西日本新聞」6月30日(火)朝刊「西日本文学展望」茶園梨加氏筆
題「古参同人誌」
冒頭、「九州文学」(福岡県中間市)と「龍舌蘭(りゅうぜつらん)」(宮崎市)がともに創刊82年を迎えたことに触れ、現在を紹介。
伊福満代さん「ここから」(「龍舌蘭」200号)、「佐々木信子さん「石蕗(つわぶき)」(「第7期九州文学」50号)
田ノ上淑子さん「黄昏の回廊」(「原色派」74号、鹿児島市)、鳥海美幸さん「罠」(「龍舌蘭」200号)、吉岡紋さん「求菩提の松」(「第7期九州文学」50号)

2020年6月 9日 (火)付「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。
同人誌時評「図書新聞」(6月6日)=評者・越田秀男
 (前略)活き活きと生きたいがままならない人生、虚構によりどれほどこの生活の実相に迫れるか、作家達が舞う。
 『消された男』(水口道子「あらら」11号)――とある住宅街にゴミ屋敷、その家から死後8日も経った女の遺体が。夫が住んでいる! 殺人? 警察は事件性なしで引き上げる。順々にそのワケが明かされてくると、この夫婦と死んだ娘の不幸の塊のごとき生涯が浮き彫りに。残された夫は入所施設に。オ爺捨山? が、男は終の住処で活き処を見出す。このラストが作品のミソ。
 『太郎と踊ろう』(宇野健蔵「じゅん文学」102号)――零細な建設コンサルタント会社に勤める就職氷河期世代の主人公。会社から車で三時間もかかる建設用地の発掘調査を任される――長雨、期限の切迫、突然の梅雨明け、猛暑、過酷な作業、現場作業員との擦った揉んだは、危なくもユーモラス。一日が終わり、明日は休日、「何となく良い一日だった」、仕事も活、作品も活。
 『茶箱』(小松原蘭「季刊遠近」73号)――幼なじみの主人公と従兄は成長し恋仲になるが、主人公はイトコ同士が気になりはじめ、親側の事情もあり、心に反して関係を絶つ。と、従兄は病死。物語は下り、主人公と母は父を看取り、母も超高齢に、介護付き老人ホームの話が現実化する。一旦は母の入所を決めた主人公、過去の自身への蟠りが膨らみ、困難でも母と暮らす道をとる。
 『たとえば地獄の底が抜けたなら』(玉置伸在「カプリチオ」50号)――日雇い労働者の主人公、泥酔してひき逃げ事故に遭い、奈落の底。と、生活保護も受けずに生き永らえている老人と仲良くなり、この老人が時折発する“たとえ話”に惹かれる――「俺たちは野生の王国にいるんだ」。主人公はこの言葉に地獄の底から抜け出る道を感じ取る。動物園の檻の中よりまし?
 『負け犬』(瀬崎峰永「ふくやま文学」32号)――父に愛され父を愛する娘が強姦される事態に、父は手のひらを返すように娘を詰り疎んじる。娘は極度のストレス障害に陥り、やがて公衆便所脇の路上生活者、自殺未遂で病院に。担当医は父との関係修復を目差すも、裏目に出て自死。父からの完全離脱こそが、彼女の唯一の活路だった。
 『マンタとの再会』(國吉高史「南溟」8号)――「皆何処へ行ったかね」という老婆の言葉ではじまる。老婆の娘は18の歳で強姦され、産んだ子を母に託し本土に出奔。孫娘はその容姿から差別を受けるも耐え、婚約者を得る。が、難病を発症、婚約解消、40にして病が重篤化、延命策で足切断、半年後死去。わずかな“命”の時、本土で生まれ育った弟が母の死の知らせとともに訪れ、孫娘と婆にささやかな“活”を贈った。
 『兵詩』(城戸祐介「九州文學」572号)――バラバラになった自分の死体を自分が覗き見るシーンから始まるこの作品は、これから敵地に向かう時空へ舞い戻るところで終わる。生き返ると同じ時空、無限魔か。
 1946年12月20日創刊の「文学雑誌」、91号にて休刊。1977年8月20日創刊の「法螺」、80号にて終刊。 (「風の森」同人)《参照:虚構によりどれほど生活の実相に迫れるか、作家達が舞う》

投投稿者:ひわき 投稿日:2020年 5月31日(日)11時35分24秒
「西日本新聞」5月29日(金)朝刊「西日本文学展望」茶園梨加氏筆
題「異なる存在」
田川喜美子さん「空」(「長崎文学」93号、長崎市)、寺井順一ん「甘雨」(「西九州文学」44号、長崎県大村市)
田原明子さん「ほうずき」(「海峡派」148号、北九州市)、野沢薫子さん「秘湯」(「長崎文学93号)、「詩と眞實」(851号、熊本市)より共に連載の武村淳さん「平成uncontrollable fantasy」シリーズ・園村昌弘さん「村を撮るⅣ」、坂田眞澄さん「子育て盛衰前哨戦」(「西九州文学」44号)

投稿者:ひわき 投稿日:2020年 5月 2日(土)08時39分30秒
「西日本新聞」4月30日(木)朝刊「西日本文学展望」茶園梨加氏筆
題「女の生き方」
西田宣子さん「手袋とサボテン」(「季刊午前」58号、福岡市)、和田信子さん「猫、踏んじゃった」(「南風」47号、福岡市)
田中青さん「ドンコ川」(「南風」47号)、白石すみほさん「恋歌」(「ふたり」23号、佐賀県唐津市)、「筑紫山脈」(38号、福岡県久留米市)より表紙担当の大國留美子さんの紹介

投稿者:ひわき  投稿日:2020年 3月31日(火)11時06分59秒
「西日本新聞」3月30日(月)朝刊「西日本文学展望」茶園梨加氏筆
題「風土と方言」
冒頭、日巻寿夫さん「終わらないジェンガ」の第50回九州芸術祭文学賞最優秀作受賞と古川真人さん『背高泡立草(背高泡立草)』の芥川賞受賞に触れる。
あびる諒さん「漆の贅」(「詩と眞實」849号、熊本市)、島夏男さん「和江婆」(「照葉樹二期」17号、福岡市)
椎窓猛さん「イノシシ退治は苦笑い」(「九州文学」49号、福岡県中間市)、水木怜さん「やまぶき」(「照葉樹二期」17号)
随筆から、屋代彰子さん「芽生えのとき」(「九州文学」49号)、高野藍さん「魔の285A」(「照葉樹二期」17号)

2020年3月22日 (日)付「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。
同人雑誌季評「季刊文科」80号=谷村順一氏
「ほんとうのこと」
《対象作品》稲葉祥子「あやとり巨人旅行記」(「雑記囃子」第24号・大阪府)/キンミカ「チキンファット」(「mon 」vol15・大阪市)/飯田未和「茄子を植える」(同)/佐伯厚子「紫の旗」(「樹林」vol 657・大阪府)/長谷一馬「ザリガニのメッセージ」(同)/秋尾茉里「季節」(「babal」3号・大阪府)/同「動く物」(「白鴉」31号・兵庫県)/大新健一郎「協力者」(同)/新谷翔「ガンズエリア」(「組香」第4号・大阪府)/水無月うらら「可燃」(「星座盤」vol .13・岡山県)/谷山結子「ギフト」(「せる」第113号・大阪府)/松田恵美子「たまごについて」(同)/丹羽加奈子「ミドリさん」(じゅん文学」第101号・愛知県)/切塗よしを「その風は蒼ざめていた」(「あるかいど」67号・大阪府)。

投稿者:ひわき  投稿日:2020年 3月 2日(月)13時04分27秒
「西日本新聞」2月26日(水)朝刊「西日本文学展望」茶園梨加氏筆
題「人生模様」
柴垣功さん「ここは無人駅」(「詩と眞實」850号、熊本市)、杉山武子さん「坂道」(「火の鳥」29号、鹿児島市)
都満州美さん『海の見える丘』(海峡派社)、同「リカバリー・ルーム」(「海峡派」147号、北九州市)、「詩と眞實」850号記念号より宮本誠一さん「フラワー」・木下恵美子さん「蝙蝠(こうもり)」・辻一男さん「柵」

2020年2月13日 (木)付「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。
文芸同人誌評「三田文学」2020冬季号( 柳澤大悟氏/加藤有佳織氏)
No.140(2020年冬季号)で取りあげられた作品
・宮本誠一「慰留地」(「詩と眞實」VOL.842、熊本市南区)
・飯塚裕介「小さい絵」(「新奇蹟」第九号、東京都足立区)
・秋尾茉里「季節」(「babel」第3号、大阪府八尾市)
・内藤万博「機械兵団」(「マザー・グースREMIX」大阪市北区)
・谷口あさこ「新生」(「せる」VOL.111、大阪市旭区)
・篠原ちか子「ギプスが恋人」(「風紋」第14号、富山県富山市)
・稲葉祥子「あやとり巨人旅行記」(「雑記囃子」VOL.24、兵庫県伊丹市)
・北条ゆり「十六番目」(「まくた」第二九六号、横浜市青葉区)
・秋尾茉里「動く物」(「白鴉」31号、兵庫県尼崎市)
・さあらりこ「ミル・コリンのふもとへ」(「てくる」26号、滋賀県大津市)
・桜井夏実「まだら雲」(「青の時代」第46集、北海道函館市)
・木下衣代「十年食日記」(「黄色い潜水艦」70号記念号、奈良県北葛城郡)
・花島眞樹子「うどんげの花」(「遠近」第71号、横浜市青葉区)
・垣江みよ子「父の物語」(「樹林」vol.655号、大阪市中央区)
・真銅孝「エチ蚊」(「babel」第3号、大阪府八尾市)
・堀田明日香「ペイン・スレッシュホールド」(「中部ぺん」第26号、名古屋市千種区)
・水無月うらら「可燃」(「星座盤」vol.13、岡山市北区)


2020年1月31日 (金)付「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。
同人誌時評「図書新聞」(2020・2・1)評者・志村有弘氏
 堀江朋子の「売出し中」(「文芸復興」第39号)は、副題に「西武池袋線沿線・想い出の記」とあるように、作者ゆかりの私鉄沿線の想い出を綴る。堀江の父は上野壮夫(詩人・小説家)。一家が奉天(瀋陽)から引き揚げてきたときに住んだ江古田の借家、勤めた保谷市にあった民族学振興会、通い続けたひばりが丘の歯科医院。民族学振興会で知り合った若林つやの悲しい恋も綴る。後に堀江が民族学振興会の跡地を訪れたとき、生え残っていた竹を見つけ、若林が時折竹藪に石を投げていたのを思い出し、「時代と世間に」石を投げていたのだと思う。堀江一家と親交のあった平林彪吾の息子(松元眞)の心優しい風貌、だが、その病床の姿は涙を誘う。つやの死も涙。特攻隊の少年志願兵であった肇(壮夫長男)が死去したおりの慟哭する母の姿。作品末尾の「時は去り、人は逝き、私はここにいる」・「私も今をひたすらに生きるしかない」という文章が心に残る。ふと、人生とは諦念の繰り返しであるのか、と思う。堀江朋子は、見事な文人だ。
 関谷雄孝の力作「竪川河岸通り春秋‐躯の芯の無造作に丸められた固まり‐」(「小説家」第147号)が、「私」の少年時代から起筆し、医師となり、患者と向き合う姿を綴る。作品で見落としてならないのは、自分の「躯の芯の暗い所に柔らかい球のような形のもの」を「大切にしなければ」ならぬと意識し続けてきたこと。これが「私」の根底に存在し続ける。若年性家族性ポリポージスを患う中村一若(高校生)の手術、その後の一若と向き合う誠実な姿に感動を覚える。結局、一若は後に死去するのだが、「私」は一若の存在を忘れることができない。作者としては書いておきたい作品であったのだろう。
 藤川五百子の「マイマイガ毛虫と芋虫」(「文芸長良」第39号)の主人公は、登校拒否を続ける香子(中学生)。香子は小学生のとき、いじめにあい、不登校となる。害虫のマイマイガ毛虫の駆除に熱中したりするが、布団を被って芋虫のように寝る。やがて、訪ねてくる人と言葉を交わし、家事もするようになる。母は教師、入院している父は酒好き。祖父は家に帰ってこない。そうしたなか、祖母が倒れた。香子が祖父にスマホで連絡し、祖父が家に来た日、祖母に異変が起こる。そのとき、香子はペットボトルに詰めた毛虫たちは今どうなっているだろうか、と思う。作品はそこで終わる。家庭の状況は大変だが、成長してゆく香子の姿に安堵。優れた構成力、簡潔な文章、場面の展開も早い。
 藤蔭道子の「風のうた」(「風の道」第12号)は、散文詩を思わせる短編小説。作品の語り手吉方治子(四十九歳)は、母が亡くなり、兄と相談して空き家となった家を処分した。更地となった土地を見にきて、引っ越してきたときのこと、坂の上のお屋敷に住む坊やちゃんのこと、庭を愛した母のことを綴る。お屋敷もとうの昔になくなり、「いまとなっては、すべて幻」と記す。乙女椿、柊南天、木蓮、百日紅など様々な花が示される。作者の技倆であろうか、そうした花々がなぜか寂しく感じられる。治子は、再び来ることはないだろうと思い、道を歩きながら「夏草や兵どもが夢の跡」の句を口走る。そうだ、母も治子たちも家族みんなここを拠点として戦い、生きてきたのだ。
 エッセーでは、「吉村昭研究」が48号を重ねた。今号は第11回悠遠忌の講演録等が軸になっているが、ひとりの文人の研究誌を発刊し続けていく努力に、敬意を抱く。
 詩では、たかとう匡子の「花ばな問答」と「蜂騒動記」(時刻表第6号)が圧巻。「花ばな騒動」は、山茶花を視座とする作品。夢幻の世界を想起させる箇所があり、詩語の配列と展開が見事。「さらにさらにさらに」、「ひとひら/またひとひら」という、平仮名表記の反復技巧。女性ならではの表現も感じられ、優れた詩才に感服。「蜂騒動記」は、前半に蜂を退治する光景をコミカルに描き、最後に空き家現象・独居老人の死に触れて、過疎化日本の現状を示し、末尾に取り外されたオオスズメバチの巣が福祉センターの「自慢の置き物」になっていると結んで、苦笑を誘う。たかとうならではの作品である。 以下略)
《参照:堀江朋子の西武池袋沿線の想い出を綴る秀作(「文芸復興」)――関谷雄孝の誠実な医師の姿を描く力作(「小説家」)》

投稿者:ひわき  投稿日:2020年 1月31日(金)16時04分41秒
「西日本新聞」1月31日(金)朝刊「西日本文学展望」茶園梨加氏筆
題「集大成」
深田俊志祐さん「同志、逝く」(「九州作家」133号、北九州市)、井本元義さん『太陽を灼(や)いた青年 アルチュール・ランボーと旅して』(書肆侃侃房)
有森信二さん「喫水線」(「海」23号、福岡市)、小稲原ひろ子さん「黒糖と反骨の島から(上)」(「火山脈」25号、鹿児島市)、木山葉子さん「火鈴」(「木木」32号、佐賀県唐津市)