同人誌評・2018年

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「図書新聞」HPの「連載」ページ掲載「同人誌時評」
●「全作家」HPの「文芸時評」横尾和博筆         



投稿者:ひわき  投稿日:2018年12月29日(土)11時18分17秒
「西日本新聞」12月28日(金)朝刊「西日本文学展望」茶園梨加氏筆
題「希望」
雲川(ゆかわ)あささん「牛乳の海に咲く花は落ちない」(「文芸山口」文芸山口大賞受賞作特集号、山口市、準大賞受賞作)、佐々木信子さん「ヤマガラの里」(第七期「九州文學」44号、福岡県中間市)
村谷由香里さん「かもめの鳴く海は 今日も」(文芸山口賞準大賞受賞作)、箱嶌八郎さん「ほくろ」(第七期「九州文學」)

2018年12月21日 (金)付「文芸同士会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。
同人誌季評「季刊文科」第76号=評・谷村順一氏
≪対象作品≫
特集「何を書くかよりどう書くか」(「樹林」Vol.643・大阪市)/藤本紘士「小説友達」(「同」)/稲葉祥子「贋夢譚」(同)/染谷庄一郎「小説の生まれるところ」(同)/三好久仁子「音の海に身を沈め」(「夜咲う花たち Female」(夢陰文学会・神戸市)/水無月うらら「ひかり透く」(「星座盤」Vol.12・岡山県)/北条ゆり「天空の文学」(「まくた」第294・横浜市)/井上重萌「ミナモ」(「BABEl」第2号・大阪府)/宇野健蔵「ジョンとヨーコとスカイのタネと」(「じゅん文学」第97号・名古屋市)/高原あふち「食う寝るところ住むところ」(「あるかいど」第65号・大阪市)。

2018年12月 5日 (水)付「文芸同士会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。
「図書新聞」(2018年12月1日)評者=越田秀男氏
(一部抜粋)
  『島の墓標』(宮川行志/九州文學43号)――世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン」、この登録に乗じた、天草上島沖に浮かぶダデグ島の古文書と埋蔵金をめぐる、正義の味方対、利権市長、生臭坊主の戦い、で結果ウィンウィン、ハグハグ。ところで〝ダデグ島〟なんて聞いたことないが、全部作り話とも思えない。
  同誌巻頭の『出島甲比丹』(中野和久)は幕末フェートン号事件を題材に出島商館長を主人公にした歴史小説仕立ての物語。この作品も史実と虚構の境界が楽しめる。
  『大和川』(稲葉祥子/雑記囃子23号)――竹や桃からかぐや姫や桃太郎、ならばPCの立ち上げ時間を寄せ集めて人造人間を虚構っちゃえ? ピノキオより不自然! 歳は20に、70半ばであの世、に設定。アラ40の主人公と日本一汚い大和川でおにぎりデートして結婚、子はご飯の炊きあがり時間を寄せ集めて……この提案は却下。やがて彼は設定年齢でタケコプター装着練習中、落下して死亡。彼女は気づいたら100歳、浦島花子。
  『きらいなにおい』(三上弥栄/星座盤12号)――大和川は水質改善が進み鮎の産卵も。隅田川も今や白魚が棲める。みんな清潔、消臭剤大繁盛。で、臭いに超敏感女現る。彼女もその夫も会社仕事に不適合。今まで支えてきた縁者にも見放され……。この小説、おもしろいのは、超過敏女の自己中的愚痴を聞いていると、みな五十歩百歩で、今やこの世の中一億総過敏症時代のようにも感じてくる。
  〝現代〟の居場所は険しい――『居場所』(小林忍/てくる24号)――夫婦娘三人家族マンション生活に妻の母が同居をはじめて、居場所を失った夫。飲み屋にやってくる女との不倫、娘につきまとうストーカー、飲み屋の隅の席に陣取る猫、猫の席を奪う酔客、なんや満席かいな! と止まり木無く帰る客。冒頭の失神雀を含め材料を上手に関係づけて、あなたの居場所は? と問う。
  同誌の『赤いポール』(井川真澄)も老人の居場所がテーマだ。日当たりの良い公園のベンチでヒネモス、の爺ではなく、ベンチから追われ、追われ、消えた爺……。
 『虹の輪』(水木怜/照葉樹14号)は公園を清掃するボランティア爺の話。その爺に、いつもジョギングで出会う青年は、ある不自然さ、異常さを感じ、爺の暮らしの内側に立ち入っていく……と、その奥には20年前、愛ゆえのほほ笑ましい些細な行為が、神の存在など信じ得ぬ惨劇に転じてしまった事故と事件があった。
  『丸山のフキの下に』(白川光/北狄383号)――時代は江戸、弘前。三内丸山の地に自生する葉が二段の蕗? その下にコロボックルが住む? どこでも探検隊、発見! 桑の実ワインを呑みすぎて蕗の葉からスッテンコロボックル! だが、21世紀のコロボックルの住処は?
  『夏野旅路』(加藤康弘/矢作川40号)――「背にもたれていた木から、一匹の蝉が羽ばたき、西陽の彼方に消えていく」――町の札付き問題児に、年上の幼馴染みへの恋心が突然やってきた時、それは別れの時でもあった。思春期の喪失感が歌われる。
  沖縄の歌――「南溟」5号では、平敷武蕉が「玉城寛子論」を展開。「くれない」195号では、翁長知事哀悼の歌を特集。「コールサック」95号では、同社が刊行した『沖縄詩歌集』の書評などを紹介している。惨・怒・怨・哀に満つるなかで、心の芯に響く歌――

投稿者:ひわき  投稿日:2018年12月 1日(土)11時32分8秒
「西日本新聞」11月29日(木)朝刊「西日本文学展望」茶園梨加氏筆
題「戦争と記憶」
宮脇永子さん「しんけいどん」(「南風」44号、福岡市)、武村淳さん「朝(あした)に道は知らずとも」(「詩と眞實」833号、熊本市)
友尻麓さん「窓辺にて」(「砂時計」2号、福岡市)、吉田秀夫さん「T四作戦」(「ら・めえる」77号、長崎市)
「宇佐文学」(63号、宇佐市)は「宇佐文学まつり」報告も、「敍説」Ⅲ-15号(福岡市)は夏樹静子特集

稿者:ひわき  投稿日:2018年 9月28日(金)13時51分20秒
「西日本新聞」9月27日(木)朝刊「西日本文学展望」茶園梨加氏筆
題「老い」
水木怜さん「虹の輪」(「照葉樹二期」14号、福岡市)、木澤千さん「初恋の贈り物」(「第七期九州文学」43号、福岡県中間市)
中野和久さん「出島甲比丹」(「第七期九州文学」43号、福岡県中間市)、都満州美さん「安楽荘」(「海峡派」143号、北九州市)、近藤乾さん「最後のごめんなさい」(「照葉樹二期」14号、福岡市)
椎窓猛さん『気まぐれ九州文学館』(書肆侃侃房)より野田寿子さん「改姓」

2018年9月 7日 (金)付「文芸同士会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。
「図書新聞」 (2018年9月1日)評者=越田秀男氏
<編集抜粋>
 村上政彦が『結交姉妹』を「季刊文科・74」に寄せた。「たやましげるさん なくなりました(以下10回繰り返す)」で始まる。頼みの息子を亡くした母は悲しみのあまり発狂、いや呪言、言霊が憑く……やがて物語は中国南部の〝女書〟の世界へ。生者も死者も共存する女の国。男の参画も拒まず、その際は玉ぬき棹とり。女書国存亡の危機に救世主、玉棹抜取男現れ、子を孕み、尻から生まれ出でしはーイロハニホヘトチリヂリバラバラーん。
 『青山さんのこと』(西里えり/水脈62号)ーープロの凄ワザ、といじけてる場合じゃない。五年前、なぜだか単身で東京から福井の街へ引っ越してきた。決して悪気のある婆ではないのだが、やたらと関わってきて近所の人達にとっては疎ましい。やがて、呆けはじめて問題行動、息子が引き取り介護施設へ。清々した? 皆、去ってはじめて青山さんを知る――集団的人見知りだったが、都会の集団的無関心より人間味あり。
 『秋日和』(藤田友房/長良文学23号)――仕事柄家にたまにしか帰らない父。母出奔、娘五歳の時。それから10数年、敗戦。娘、後妻になじめず家を出る。背中に彫り物の男と関係し子を宿す。父に許しを請いに帰郷。そんな男許すわけがない? 高倉健だったらどうする! 父は彼の男気に惚れ全てを飲み込む。戦後の価値観の変化と長良の土地柄が物語を引き立てる。
 『幻の境界』(野元正/八月の群れ66号)ー小説形式を使い特定の問題の啓発を行う。その一つ、街に出没する野生動物、この由々しき事態を、人と猪双方の立場から問題点を仕分けしてくれた。討論会での母猪の証言は秀逸。猪は慎ましやかで専守防衛、生態系を壊したのは人間様。人間様の専守防衛は外堀が埋め尽くされた大阪城。せめて積極的平和主義なる珍妙・頓珍漢な言葉は麻雀遊技の時だけにしてほしい。
 『幻の境界』(野元正/八月の群れ66号)ー発達障害を取りあげたのが『幻の境界』。その代表格は注意欠陥多動性障害(AD/HD)。時評子は十数年前、医学の講演会(演者・長沼睦雄氏)でトットちゃんはAD/HDと教えられた。つまりAD/HDは障害に非ず、天才の道を拓く特殊性格! サッカーWC代表は皆〝多動性〟? 主人公を高校教師として教育現場の実情を浮き彫りにしつつ、主人公自身がAD/HDだった、という設定で、職場(成人)の問題でもあることを強調。最後にその仲間達で多動隊が結成される。
 『こびと日記⑥』(夏川隆一郎/VIKING810)のH君はドーナツなどを分け合う時大きい方をとる。主人公は将棋でこのH君に連戦連敗。リベンジ戦を要請すると、ゆで卵を持ってこい! ゆで卵? 「老後の松下幸之助は、人生をもう一度やり直したいと言ったらしい……成功者はこの世に未練を残す。敗北者は死を容認して受け入れる。ひとの世はうまくできている」。
 『生きものの眼』(秋野かよ子/コールサック94号)。井戸端にタムロするのをビチョビチョのビニールシートに沢山乗せてゴールに誘引・駆除剤、ヨーイドン。全滅!? いや三匹賢くも駆除剤を俊敏に回避。彼らは「黒ごまよりも小さく芥子粒のような真っ黒な潤んだ眼をみせた」。同誌に載せた詩――「細枝を赤く染めたモミジ/光をあと二つばかり欲しいらしい/枝先の緑児を膨らまし/時だけを待っている」(『早春の背中』部分)。芥子粒と緑児……散文と詩の境界。(「風の森」同人)

投稿者:ひわき  投稿日:2018年 9月 1日(土)10時01分52秒
「西日本新聞」8月31日(金)朝刊「西日本文学展望」茶園梨加氏筆
題「作者の姿勢」
矢和田高彦さん「あいこでしょう」(「山口文芸」304号、山口市)、深田俊祐さん「散骨」(「九州作家」131、132号、北九州市)
西村不知さん「軍刀と千羽鶴」(「風」20号、筑紫野市)、瀬戸みゆうさん「思案の場所」(「風響樹」50号、山口市)、くまえひでこさん「引き揚げっ子の昭和」(「長崎文学」88号、長崎市)、内田征司さん「枝垂れ梅」(「詩と眞實」830号、熊本市)
相川英輔さん短編集『雲を離れた月』(書肆侃侃房)より「7月2日、夜の島で」
「草茫々通信」12号(八田千惠子さん、佐賀市)より特集「凝視の先に-佐多稲子の文学-」

2018年8月25日 (土)付「文芸同士会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。
同人雑誌季評「季刊文科」第75号(東京)=谷村順一氏
――向こう側にあるものーー
≪対象作品≫中村徳昭「朝の水」(「30」Vol.12・東京)/猿渡由美子「奈辺」(「じゅん文学」第96号・名古屋市)/田中さるまる「町工場に住む」)(「ココドコ」大阪市)/凪和「省三」(「文の鳥」創刊号・兵庫県)/田中星二郎「百万円の壺」(「IGNEA」第8号(大阪府)/島田奈穂子「手の中の小鳥」(「mon」Vol.12・大阪府)/鶴陽子「家を送る」(「π」第13号・埼玉県)/佐伯一果「赤に滲む」(「カム」VOL.16・大阪府)/雨宮浩二「凶暴犬とガマガエル」(「胡壺KOKO」第14号・福岡県)。

2018年8月 5日 (日)付「文芸同士会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/news/2018/08/20180804-4e74.htmlより転載いたします。
「図書新聞」同人誌評(2018年8月4日)評者◆志村有弘氏
 岡山晴彦の戯曲童話「今様お伽噺 麦の穂」(Pegada第19号)。町の「廃校」の寂しさもあり、今はやりの「忖度」の言葉も見える。震災の傷を随所に示す哀しい作品でもあるが、心温まる力作。
 丸山修身の「古紙の裏から」(文芸復興第36号)が、推理小説を読む面白さ。名文句もある。古紙と共にあった位牌の一人ひとりの人生も知りたい。佳作。
 高原あふちの中篇小説「人間病患者」(あるかいど第64号)の登場人物は、それぞれ個性的だ。題名もうまい。ホームドラマになり得る作品。
 浅岡明美の「昼下がりの客」(創第12号)は、老人の罪の意識を綴る短編小説。老人の心に沈殿し続けた呵責。綺麗な文章で展開する良質の好短篇。
 福島遊の短篇「ひじり」(あてのき第45号)は、作中に『日本往生極楽記』などに見える賀古(加古)の教信上人の生きざまを記す。爽やかな読後感が心地好い。
 エッセーでは、岡谷公二の前号からの連載「山川方夫の葉書(二)」(飛火第54号)が、友人山川の書簡を紹介し、岡谷自身も含めて山川・「三田文学」を視座とする貴重な文学交友録を伝えている。
 同人雑誌連載の作品が単行本になるのを知ると、嬉しい気持ちになる。木村咲の小説『赤い土』(「九州文學」連載)は、一人の女性が厳しい異国の地で生き抜いてゆく姿を抒情豊かに展開させている。
 「浮橋」、「文の鳥」が創刊された。同人諸氏の健筆をお祈りしたい。追悼号ではないが、「民主文学」第663号に三浦光則が昨年十二月に死去した伊豆利彦、「天荒」第60号に岡崎万寿が二月に死去した金子兜太について(連載の上)、その熾烈な文学魂を綴る。ご冥福をお祈りする。

投稿者:ひわき  投稿日:2018年 7月28日(土)10時30分38秒
「西日本新聞」7月24日(火)朝刊「西日本文学展望」茶園梨加氏筆
題「家」
野見山潔子さん「解体」(「火山地帯」193号、鹿児島県鹿屋市)、西村敏道さん「微(ほほ)笑みのかげに」(「飃(ひょう)」108号、山口県宇部市)
鳥海美幸さん「冬の終わり」(「龍舌蘭(りゅうぜつらん)195号、宮崎市」)、北村節子さん「街灯」(「佐賀文学」35号、嬉野市)、田ノ上淑子さん「降灰は空の彼方(かなた)に」(「原色派」72号、鹿児島市)、右田洋一郎さん「沙知とクロとプリズムと」
(「詩と眞實」829号、熊本市)、三井春生さん「もっこすの記(第6回)」(「季節風」24号、北九州市)
「火山地帯」193号は島比呂志さん生誕100年特集、立石富生さん『小説 島比呂志』(火山地帯社)、島比呂志さん著書『生きてあれば』(1957年)に言及

投稿者:ひわき  投稿日:2018年 6月29日(金)08時54分34秒
「西日本新聞」6月27日(水)朝刊「西日本文学展望」茶園梨加氏筆
題「生死」
城戸祐介さん「出産者」(「第七期九州文学」42号、中間市)、西田宣子さん「雨上がりの公園で」(「季刊午前」56号、福岡市)
小河原範夫さん「疑似的症候群」(「ガランス」25号、福岡市)、田川喜美子さん「思い子」(「長崎文学」87号、長崎市)
寺井順一さん「ラメンタービレ」(「西九州文学」40号、長崎市)、深田俊祐さん「風船飛ばし」(「南風」43号、福岡市)、藤代成美さん「月の道標」(「照葉樹二期」13号、福岡市)
宮崎県教職員互助会「しゃりんばい」が40年の歴史に幕

2018年6月14日 (木)付「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。
同人誌季評「季刊文科」74号=評・谷村順一氏
《対象作品》
秋尾茉里「あさがおの花」(「babel」創刊号・大阪市)/猿渡由美子「胸の底の辺鄙なところ」(「じゅん文学」第94号・名古屋市)/森本智子(「襖の向こうに」vol.11・大阪府)/島田奈穂子「近藤さん」(同)/小島千佳「二つに一つ」(「あるかいど」63号・大阪府)/谷河良彦「辞書物語」(「樹林」Vol.634・大阪府)/木下衣代「柔らかな裂けめ」(「黄色い潜水艦」67号・兵庫県)/渡邊未来「くるみの翼」(「ガランス」25号・福岡県)/山内弘「沈黙の解答」(「空飛ぶ鯨」第18号・埼玉県)/和泉真矢子「あなたもそこにいたのか」(「メタセコイア」第14号・大阪府)/灰本あかり「薄ら日」(「文芸 百舌」第2号・大阪府)/伊藤礼子「儀式」(「八月の群れ」vol.65・兵庫県)。

2018年6月 9日 (土)付「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。
同人誌評「図書新聞」(6月2日)評者・越田秀男
 『我が愛しのストーブ』(小川結/(「穀雨」22号)。北風小僧の寒太郎~と歌う灯油売りも近年見かけなくなった、にもかかわらず、エアコンも設置した、にもかかわらず、冬は石油ストーブ、夏は扇風機、と頑ななアラ80父。あきれ果てる同居のアラ40娘。と、別居の妹がやってきてエアコンを……姉「33度以下は扇風機!」と、いつの間にか感化されていた。
  「あらら」9号、 炎で競作。〝『炎』水口道子――狐と狸と人間の化かしあいから共棲へ。『水の炎』渡邊久美子――震災・津波は喜怒哀楽、人生の全てを奪った。『炎・焔・熾』松崎文――竈の炎の多様な顔、ホカホカご飯! 『炎の野球選手』大西緑――蘇る炎のストッパー津田恒美! 『炎のごとく』磯崎啓三――夏野はや炎のごとく一樹立つ。
 『献体』(猪飼丈士/「民主文学」631号)。伯母が老人ホーム入所の際、身よりが主人公だけで、身元保証人になるため、四十数年ぶりに会った。その時伯母は「献体登録証」をみせた。なんで献体? その真意がわからずじまいで十五年後、緩和ケア病棟。死が切迫した段階でも伯母の意志は変わらない。主人公はこれまでの伯母の人生に深く想いを寄せる。
 『祈り』(石崎徹/「ふくやま文学」30号)。広島平和記念公園に訪れた親子五人が遊園地気分で時をすごす。さて帰るか……父親がもう一度、と慰霊碑に。母も……子等も。休日でごった返す人垣をかき分け碑にたどり着くと、不思議にも五人が収まるに足る空隙ができ、皆父に倣って祈りを……と、回りの人々までもが倣って黙祷――《急に静寂が群衆を支配したかのようだった》。
 『海の止まり木』(北嶋節子/「コールサック」93号)。主人公の母は長崎で被爆、一命を取り留め結婚、子に恵まれる。が、主人公が小学校にあがるころ原爆症を発症、一年足らずで世を去る。と、姉も発症し同じ経過を辿った。この有様は〝風評〟となり「ピカドンがうつる」、イジメ。成人した主人公は相思相愛の恋。結婚の承諾を得るため、父を伴い、娘の親代わりの兄に会いに行くも、けんもほろろで拒否された。それから四十年後、主人公が経営する喫茶店に、その兄がやってくる、台風の到着と、彼女の死の知らせを伴い。追い返すわけにもいかない……。
 『陸か海か』(平山堅悟/「AMAZON」488号)。陸か海かは、父が韓国人、母が日本人の、両生類的生き方の主人公の有り様。彼は居酒屋の屋上のラウンジでヤクザっぽい客の顔面に青丹を食らわせてしまう。この一件をキッカケに店の女と身の上話をする程度に関係が。女は中学生のころ、親が同和地区に住まったことを因とする騒動に巻き込まれ、その後風評被害を逃れ逃れて成人。結婚し子に恵まれるも、義母がこの過去の一件を嗅ぎつけ、離婚の憂き目。一方、主人公は、父が朴正煕政権下で民主化運動の首謀者として死刑に処せられたことなどを明かす。大阪のコリアン商店街の風景、人々が活写されている。
 『小風景論――「気色」とは何か』小論(西銘郁和/「南溟」4号)。琉球舞踊「黒島口説」を紹介。〝口説〟は歌舞伎などの口説のもととなった五七調の旋律を沖縄の地に引き込み溶け込ませたもの。西銘が黒島口説から抜き出した言葉は〝気色〟。〝景色〟ではなく〝気色〟を使う例は古語にみえるが、現代語では、けしきばむ、とか、きしょくわるい、など限定的だ。黒島口説では? 《何物にも「替え」られぬ出自の「島・村」に対する》誇り・信頼・感謝が込められているという。辺野古埋立工事に当てはめると、〝景色〟の破壊ではなく〝気色〟の破壊、沖縄の心を土足で踏みにじるものだということになる。
 『能古島の回天基地』随想(富田幸男/「九州文學」)。島尾敏雄の『出発は遂に訪れず』は奄美群島加計呂麻島。博多湾に浮かぶ能古島の回天基地も、発信することなく終戦を迎えたという――《沿岸近くに、無数の小石を積み重ねた魚礁とも消波堤ともつかぬ濃茶色の苔に覆われた不思議な三本の〝物体〟が波間に見え隠れしている》――魚雷艇の斜路跡。島内には博物館や防人の万葉歌碑があり、年間25万人もの行楽客が訪れるという。千数百年息づく防人と一世紀にも満たず埋もれつつある基地跡の皮肉。(「風の森」同人)
《参照:琉球「黒島口説」の“気色”に込められた心出発は遂に訪れず――博多湾・能古島の回天基地》

2018年5月 5日 (土)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載いたします。
同人誌評「図書新聞」(2018年5月5日)=志村亜有弘氏
  安久澤連の民話風な「巡礼の娘」(仙台文学第91号)が力作。寺の住職の妻トヨは夫が出奔したあと、行方知れずとなり、娘のサキは、旅籠屋で働くうち、客を取る仕事をするようになった。トヨは突然の負傷で盲目となり、近江商人の連れの男とのあいだに子をもうける。サキは母を探して旅に出るのだが、救ってくれた旅先の袖が原の一軒家で自分の身の上を語り、念仏のうちに息絶える。苦界に身を落とすことになった娘と突然盲目となった母。サキと同じく苦界に身を落としていたミチは縊死して果てた。哀しい女人の物語が達意の文章で展開する。
 堀雅子の「祭平四郎 捕物日記―狛犬の根付」(R&W第23号)は、同心祭平四郎が文介の手助けで盗賊を捕縛する話。綿密な時代考証の跡を感じるものの、話の展開が早過ぎる印象。脇役である盗賊男女造や女性たちのしぐさの描写は巧み。
 逆井三三の「生きていく」(遠近第66号)が、脳裏に「生活保護」で暮らすことがチラつく大学生(田中一郎)の姿を綴る。子どものころから居場所がなく、いじめられもした一郎は、周囲とうまくやれず、出世欲もなく、ただ生きていられればいいという人間。十八歳のアサコと知り合い、一度の性交渉三万円という関係が一年間ほど続いたが、アサコは離れて行く。同じクラスの女子学生からは「田中さんだけは嫌」と言われ、アサコから「あなたは誰も愛せない人だ」と言われる。「何をもって幸せとするかは、人によって違う。ただ生きていればいい」というのが一郎の哲学。「給料は我慢料」・「笑いは絶望から生まれる」・「未来なんてどうでもいい」などの一郎哲学が示される。一つのユーモア小説と捉えることもでき、優れた表現力に感服。
 東峰夫の「父母に捧げる散文詩」(脈第96号)は、一種の観念・幻想小説の世界。主人公(ぼく)の郷里は「基地の島オキナワ」。基地はキリストを信奉する使徒たちと金融資本家に追随する広域組織暴力団とが葛藤しているという。平和を好み、戦いの無意味さを思い続ける「ぼく」は何かに遭遇すると兄に「精神感応のケータイ」で連絡し、兄からその返答が来る。「ぼく」は「睡眠瞑想」で「彼岸」へ渡り行くことができ、軍団の隊長と戦ったりする場面を設けるなど、作者の想像は八方に飛翔する。『古事記』・『聖書』も根底にあり、〈古〉と〈新〉との相克、平和への願いが作品のテーマなのであろうか。ユーモアもあり、異色の文学世界を示す。
 山本彩冬の「錆びた刀」(裸木第39号)は連載の第一回目。「私」(晶子)は小学校三年のとき、父に連れられて兄・弟と共に継母の家に行った。第一回は「私」が私立高校に入学するまでが綴られる。父が母と離婚したのは、出征しているあいだに母が家宝の刀剣を供出してしまったこと。父は父なりに子のことを考えてはいるが、青山藩に代々仕えた武士の誇りを捨てることができない。このあと、父と娘の衝突が示されるのか、作品の展開が気になるところ。
  随想では、宇神幸男の「吉村さんと宇和島」(吉村昭研究41号)が、吉村昭の宇和島の鮮魚店への思いなどが記され、人間吉村昭の一面を伝えていて興味深い。
  西向聡の「須磨寺まで」(法螺第76号)が、文部省唱歌「青葉の笛」にまつわる平敦盛の悲劇、熊谷直実の男気を綴る。映画「無法松の一生」の中で吉岡少年が「青葉の笛」を歌う場の感動を記し、無法松の「節度をわきまえた侠気の潔さ」を教わった、と記す。須磨寺境内の句碑を紹介し、西向自身の「敦盛の貌すずやかに夏立ちぬ」など七句も示す。
 秋田稔の「とりとめのない話」(探偵随想第130号)が、中国・日本の古典から蛇にまつわる話を渉猟し、文人の怪談の句、『夜窓鬼談』の河童の話などを融通無碍、サラリと綴る名人芸。秋田が実際に見たという蛇捕り人の首に袋に入れ損ねた蛇が這っていた話など寒気がする。
 「クレーン」第39号が伊藤伸太朗・遠矢徹彦、「月光」第54号が松平修文、「私人」第94号が原田澄江、「民主文学」第630号が三宅陽介の追悼号(含訃報)。御冥福をお祈りしたい。
(相模女子大学名誉教授)

投稿者:mon飯田  投稿日:2018年 5月 5日(土)23時58分22秒
三田文学 No.133(2018年春季号)「新同人雑誌評」(柳澤大悟氏と加藤有佳織氏)で取りあげられた作品
・小畠千佳「二つに一つ」(「あるかいど」63号、大阪市阿倍野区)
・望月なな「透明な切取線」(「mon」11号、大阪市阿倍野区)
・真銅孝「バーバラ」(「バベル」創刊号、大阪府八尾市)
・日上秀之「こどもたち」(「北の文学」75号、岩手県盛岡市)
・澤田展人「ンブフルの丘」(「逍遥通信」第2号、札幌市豊平区)
・武村賢親「かんう」(「琳琅」創刊号、埼玉県所沢市)
・箕田政男「見上げてごらん」(「ちょぼくれ」76号、群馬県前橋市)
・多田加久子「あなたに話したい。」(「北の文学」75号、岩手県盛岡市)
・崎浜慎「百ドル札」(「四の五の」第4号、沖縄県那覇市)
・島田奈穂子「近藤さん」(「mon」11号、大阪市阿倍野区)
・今西亮太「真夏にサンタクロースは来ない」(「樹林」634号、大阪市中央区)
・木戸岳彦「えび」(「季刊作家」第90号、愛知県稲沢市)
・森ゆみ子「空を泳ぐ」(「たまゆら」第109号、滋賀県東近江市)

2018年3月19日 (月)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載
同人誌評「図書新聞」(2018年3月3日)評者・越田秀男氏
  『『グレコ』でグッバイ』(森美樹子/九州文學40号)は、半世紀近く前の男二人女三人の重層的な三角関係ドラマ。当時この渦中にいて、なぜかこれまで直接の面識がなかった男女が、時を経て、関係図絵の不明だった部分をメールで交換しあう。結末は関係の糸が一つずつ切れていき、最後の糸、カフェ「グレコ」のオーナー夫人が彼を看取る。鋭く研ぎ澄まされた才は減衰し、母胎へと回帰していく様が、半世紀後の老人男女の衰えにコラボする。
 曾禰好忠の「由良のとを わたる舟人 かぢをたえ ゆくへもしらぬ 恋の道かな」の歌に導かれた三角関係ドラマが『ゆくへも知らぬ…』(岸本静江/槇40号)。舞台はフランス、日本絵画界のドンを巻き込む源氏物語絵巻の絢爛豪華な仕立て、その結末は「ゆくへもしらぬ」。ただ、好忠の歌の序詞だが、潮の流れの激しい河口で櫂を失って沖に流され、歌どころではない! 海上保安庁救難隊出動!
 『擬似的症候群』(小河原範夫/ガランス25号)。ギリギリ生活の母子家庭に性欲満足のため乗り込み結婚の約束も反故に。ん十年後、男は準ゼネコン常務執行役員まで上り詰め定年を迎える。人生、斜に構えてかわしながら生きてきた男が、突如正眼の構えでオカルトオカマと対決、みごと土俵下転落?
 『青と黒と焦げ茶色の絵』(杉本雅史/風土17号)。息子を事故で亡くし、その妻が孫をつれて実家へ。残された夫婦に溝、妻が痴呆症状を発し入院。そんな時、パチキチで借金地獄の夫から逃げ出してきた母娘と昵懇になる……。
   『夜の客』(工藤勢律子/民主文学628号)。作品は“創る”から“写実”へ。重苦しくなりがちな認知症介護のテーマを優しく包む――『夜の客とは、認知症の母が夜飛び起きて誰か来たと思って玄関に行くことを繰り返す行為のことだ。それがやがて、かつて帰りの遅い娘を心配しての母の姿であったことに気づく。
  『火傷と筮竹』(たにみずき/蒼空22号)。“書く”から“語る”へ―孫娘が頭皮を火傷し、婆は自分の不注意と自責し頭髪が生えてこないのではと心配する。これだけの材料で心に染みる作品となるのは、語りの術といえる。
 この“語り”について、西田勝は太宰の『魚服記』を評するなかで《あらゆる「言語」による表現は「音」による》とまで言う(『言語アートとしての太宰治のかたり』/静岡近代文学32号)。作品を読み解くのではなく、音を聴くことで別世界が現れることを、読むと聴くの解釈の違いを突き合わせながら説得力をもって示している。
 文藝“別人”誌『扉のない鍵』(編集人‥江田浩司)創刊。《自由な創作と発想の場として、多彩な表現の横断や越境》を目指す。「一枚のおおきな扉は おお空に吊され 身じろぎもせず 時に微風にたじろぐ……」(『蛭化』生野毅) 「風の森」同人

2018年2月19日 (月)付、「文芸同志会通信」http://bungei.cocolog-nifty.com/より転載。
同人誌評「図書新聞」(2018年2月3日)評者・志村有弘氏
中野雅丈の「岸和田合戦顛末記」(樹林第634号)が、豊臣秀吉に仕えた岸和田城主中村孫平次一氏と紀州勢との戦いを描く。重厚な文体で展開する、読ませる力作。
 牧山雪華の「片恋――岡っ引女房捕物帖」(あるかいど第63号)は、薬種問屋の清兵衛とその浮気相手の女が死んでいた真相を岡っ引橋蔵の女房千鶴が謎解きをしてゆく。捜査コンビの行動が心地好い。
 山下ともの時代小説「貧乏長屋の幽霊」(文芸百舌第2号)は、心温まる掌篇小説。
 三嶋幸子の「遺体ホテル」(八月の群れ第65号)が、今と未来を考えさせられる作品。
 山田英樹の「エンゲルとグレーテル」(大衆文芸第76巻第1号)の主要な登場人物は、小学四年の達樹と五歳の早苗と母の良枝。場面の展開など、よく構想を練った作品。
 牧子嘉丸の「孤影――旅の日の芥川龍之介」(トルソー第2号)は、視点が拡散している印象もあるが、作者の鋭敏な神経を感じさせる佳作。
 「文芸復興」第135号が創刊七十五周年記念号。寄稿文や同誌の歴史を示す一九四三年時の編集後記を掲載し、宮澤建義編集長は七十五年間「自己表出の場を提供し続けている」、堀江朋子代表は戦時下の「文芸復興」同人は「時代に対する抵抗精神と自らの人間性を杖として、生き抜いたのだ」と述べる。「吉村昭研究」が40号を重ねた。主宰者の桑原文明をはじめとして弛まぬ不断の努力に敬意を表したい。
  「babel」が創刊された。同人諸氏のご健筆・ご発展をお祈りしたい。
 「季刊作家」第90号が松本敏彦、「潮流詩派」第251号が原子朗、「綱手」第352号が長崎豊子、「八月の群れ」第65号が竹内和夫、「文芸シャトル」第88号が三宅千代、「別冊關學文藝」第55号が多治川二郎の追悼号。衷心よりご冥福をお祈りしたい。
(相模女子大学名誉教授)

投稿者:ひわき  投稿日:2018年 1月31日(水)11時33分30秒
「西日本新聞」2018年01月31日(水)朝刊「西日本文学展望」茶園梨加氏筆
題「豊かさとは」
志田昌教さん「炭住の赤い靴」(「長崎文学」86号、長崎市)、武村淳さん「母と歩けば冥土の道」(「詩と眞實」823号、熊本市)
有森信二さん「家畜化計画」(「海」第二期第19号、福岡市)、「火の鳥」(27号、鹿児島市)は吉井和子さん追悼特集
しばらく休載、6月再開予定

投稿者:ひわき  投稿日:2018年 1月 7日(日)14時21分55秒
「季刊文科」73号(2017・12・31)
★<同人雑誌相互評>
「同人作家による同人誌評」逆井三三(遠近)
『照葉樹』(二期 第13号)より藤代成美「三球三振」・竹井侑子「さよならヒヨドリ」・瑠「行列」・水木怜「捨て猫はカウベルを鳴らして」、『全作家』(106号)より河村直希「ウイスキーを飲むことで人は癒される」・黒澤麗「Ifじゃない決意」・粕谷幸子「あの頃、わたしは……」・浅利勝照「村の娘」・前川聡「冬の陽ざしよ」、『群青』(第91号)より三橋澪子「みんなで治そう」
「書き続ける人びと」柳瀬直子(季刊作家)
『フィールド通信』(69号・岐阜市)より七条公秀「無名老人日記(六十九)」・高橋健「いまとあのころ(六十)」、『文芸同人誌弦』(第102号・名古屋市)より長沼宏之「親子巡礼」、『小説と評論「カプリチオ」』(第46号・東京都)より加藤京子「月の爪あと」、『遊民』(第16号/終刊号2017年・秋)より山下智恵子「サダと二人の女(その十四最終回)
★<同人雑誌季評>
「何を描くか」谷村順一
大新健一郎「越境地帯」(『白鴉』30号 尼崎市)より蒔田あお「フェイス・トゥ・フェイス」、官能小説のアンソロジー『夜嗤(わら)う花たち』(神戸市)より田中まさる「98と301について」・内藤万博「同士よ、聞こえるか?」、高原あふち「半径二〇三メートル僕イズム」(『あるかいど』62号 大阪市)、錺雅代「無かったこと」(『半月』第7号 山口県)、小石珠「月の行方」(『P.be」No.4 愛知県)、佐々木国広「ブルー メモダンラム」(『たまゆら』第108号 滋賀県)、かしま泰「粘土の家」(『あべの文学』第25号 神戸市)