龍舌蘭
第204号
【「微熱」渡邉眞美】
テレビは「美味しい」と「かわいい」で満ちあふれています。「美味しい」は食リポもネタ切れのようで、「うーん」とか「わあー」とかの感嘆詞と共に表情で表現することが多いようです。私の場合「ほんとうに美味しいのだろか」と疑問に思うし、味が実感できないので共感には至りません。一方、「かわいい」は映像が出てくるのでつい「なんてかわいいんだろう」と共感しながら観てしまいます。ところがこの作品の主人公は子どもの頃から小動物が嫌いです。体温の「なま温かさ」が気持ち悪いのです。当然のように流される「かわいい」に囲まれていると、この主人公の感覚がかえって新鮮に感じます。主人公は難しいことは考えずなんとなく生きてきて結婚し、娘が生まれ、孫もできる。孫の佳奈は2歳半になるのに喋らず笑顔もなく、保育園でも他の子どもと同じ行動が出来ません。育児に疲れ果てた娘を思い、孫を預かることになります。しかしコミュニケーションが取れない孫との生活に疲れ、追い詰められてゆきます。そこの感覚が生なましく描かれ、主人公の次の行動を示唆したところで終わります。主人公の感覚も孫の様子もリアルに描かれていて、息を詰めるようにして読みました。夫の安定した人物造形との落差がなおさら不気味な雰囲気を強くしています。
【「しまんだの海へ」仁志幸】
漁師として大成功をおさめた一家の跡取りとして育った真人が高校生の頃、次つぎと不幸な出来事が起こります。宮崎の島に実家の家屋を残したまま、真人は神戸で暮らし始めます。やがて中学の同級生である桐子と結婚しますが、交通事故で桐子は脳に障害が残り、お腹の子供も亡くしてしまいます。桐子を連れて島に戻ろうと決心した真人は先にひとりで戻って下準備をします。やっと準備が整った時、義姉から桐子の訃報が入るところで物語は終わります。不幸な出来事がこれでもか、これでもかと起こります。それらの内容や描写が真に迫っていて、人が直面する極限の状況に説得力があります。ただ最後の桐子の死は雑な感じがしました。どこかに希望のようなものとか、真人の人間としての強さが垣間見られたらと思いました。全体に漁師町や漁師の作業などが詳しく描かれていて興味深く読みました。水彩画のスケッチを思わせる情景描写も印象的でした。
yひわき 2022.01.28
第203号
【「二歩の父」伊福光代】とても丁寧に書かれています。主人公、角也の子どもの頃から五十歳前までの人生が語られます。角也の父は銀也、離婚で別れた息子は歩(あゆむ)で、三代にわたる将棋との関わりが作品を印象づけています。最後の角也が歩と再開する場面は、中学生の男の子の様子や両者の心境が細かく描かれていて臨場感があり、とても好きな場面です。歩の友人、章一の登場も興味深く読みました。角也の各年代の出来事が詳しく書き込まれていて、時間が行き来するので解りにくい点もありました。
byひわき 2021.09.13
第202号
この作者でないと書けない、と思わせる2作品に出会いました。
【「山菜採り」黒木日暮らし】
33歳の主人公は1年前まで20歳年上の男性と不倫関係にありました。山奥の村役場内のことであり、周囲の人たちの知るところとなります。男性の妻は婦人会長をしており、とにかくパワフルで強引です。その妻が主人公を山菜採りに誘います。主人公は覚悟して二人で出かけるのですが、妻は谷の向こうに見える実家の話などして咎めるようなことは言いません。その妻が癌の末期になって、夫に山菜を採ってきてほしいと頼みます。山菜のある場所は主人公が知っているから、と言うのです。寿退社を前にした主人公はかつての不倫相手と二人で山菜採りに出かけます。
年の離れた職場の上司との不倫は同人誌でも書かれてきましたが、この作品はひと味ちがいます。妻の心の内が書かれていません。それだけに読者は想像します。自己主張が強い妻の弱さや優しさを感じます。描写が巧みで、妻が山を歩きまわる姿を後ろに付いて行きながら見ている主人公の視点など、ありありと浮かびます。自分の命が尽きると知ったとき、妻が夫を主人公に託したようにも思えるし、最期にふたりを許したようにも読めます。そこまで書かないのが、この作品のよさでしょうか。
【「もくもくもくもく」渡邊眞美】
認知症になった母親と娘の物語です。これも同人誌ではたびたび題材になります。この作品は母親の視点と娘の視点が交合に書かれています。最初、姉ちゃんや母ちゃんの代名詞と、視点が変わってから登場する名前が結びつかず戸惑いました。だんだんと判ってきて、読み進むと双方の心のうちがしっかりと描かれています。娘の困惑と疲労、母親の引いたり戻ってきたりする記憶や不安。母親が自分の状態を受け入れる場面が悲しいと同時に柔らかく書き込まれています。ひと味ちがった作品になっています。
byひわき 2021.06.15
第200号
【「四分三十三秒」渡邊眞美】
とても魅力的な作品です。初老の不倫物語ですが、「隠れて忍び逢う」や「行き詰まったどうしようもなさ」みたいな陰にこもった気配はありません。しかし主人公の悩みや戸惑いは確実に伝わってきます。夫や息子のことも書かれていますが、具体的な出来事はありません。それでも主人公の息子に対する愛情や深く傷つけてしまったことへの後悔の念は解ります。全体に詩のような比喩の使い方や表現も破綻なく、この作品の雰囲気を作り出しています。
【「ここから」伊福満代】
ひとりの女性の人生が描かれています。身内や親友の死、妹の破綻した結婚、母親との関係、姪との遣り取りなどが短い作品の中に盛り込まれています。想像ですが、作者は登場人物について細かく設定し、きっちりと辻褄を合わせられたのではないでしょうか。確かに関係性や出来事の流れが明確に書き込まれています。それだけに読者は物語の粗筋や内容説明を読んでいるようで、登場人物が「確かに居る、ひとりの人間」という感触を持ちにくいと感じました。
byひわき 2020.06.13
第198号
【「虹のふもとに」松崎祥夫】
昭和6年、宮崎の山奥が舞台です。ほぼ昔ながらの自給自足が営まれ、ヒエやアワや野菜を栽培し、狩りをする暮らしです。
近年、猪の被害が報告され、猟友会による駆除なども行われています。もっとジビエなどに利用すればよいのに、と思ってました。ところが射止めた後の処理をきちんとしないと、肉としての商品価値がないのだそうです。作品の中では、ひとり山に入り猪を狩る一連の状況が詳しく描かれています。肉としての質を保つための後処理も興味深く読みました。また藪を切り拓いて田圃を作る様子も詳しく書き込まれています。棚田の石垣の構造など、納得する部分が多かったです。ヒエやアワを主食としている人たちの白米に対する憧れも伝わってきました。
5人の登場人物は互いを思いやり、多くを望まず、自分の力でできることを着実に進めてゆきます。自然災害や戦争の影が差し始めますが、そこで営まれる人たちの日々が好ましく描かれています。
byひわき