ら・めえる La Mer 総合文芸誌ながさき

第84号2022年7月10日 (日)
本誌は地域の歴史に根を張った文芸誌で、特に批評が各分野わたって、優れたものが多い。その視点には注意深く読解すべきものが多くある。
【「『異端』の公共事業「石木ダム」城戸千惠弘」】
 国と自治体の強い繋がりのなかで、真正面から公共事業の実行性に、批判すべきは批判するという、作者の姿勢に心を打たれた。勉強させていただくという意味で、抜粋を連載させてもらうことにした。《参照:暮らしのノート「『異端』の公共事業「石木ダム」」》
【「日本は奪わず与え続けてきた」藤澤 休】
 ここでの歴史的な経過は、朝鮮半島時代のものからの事実である。南北分断後の、正しい歴史認識を持とうとの働きかけの方策は、日本人には、よく理解できないであろう。その認識の違いを知る手掛かりとなる評論である。それが日韓関係にどう影響したかというと、会社の人事入れ替えのように、人々が入れ替わってしまった。経済力で日本に優越したと思い、日本を超える存在に、幸福と生き甲斐をもっているらしい。現在も、日本は存在することで、生き甲斐を与えているということになる。
【「八十路を超えて(7)」田浦直】
 日本が小選挙区制になったことで、政治の根本が変わった。細川氏の日本新党から、新生党など混乱期の時代がなまなましく記録されていて改めて日本政治の変化の過程を知ることができる。
【「人新生の『資本論』(斎藤幸平著)」長島達明】
書評である。マルクスが「資本論」が売れた後に、人間を地球存在的な関係との問題を提起していた点を斎藤幸平が、発掘的な問題提起を行ったことに、「ハウステンボス」に関連した経験と、資本主義論を述べる。
紹介者=詩人回廊」編集人・伊藤昭一。
《文芸同志会通信・2022年07月10日》

第83号
【「贋作」遠藤博明】
 形式が、夏目漱石の「吾輩は猫である」と同じなので「贋作」としたのであろうが、内容は創意があふれて、なかなかの面白さである。パロディ・「私は猫」とかのタイトルが、適切ではないだろうか。文章家としても、ユーモアたっぷりに語る手腕は、抜きんでて貴重な存在。世相風刺的な題材での連作を期待したい。
【「聖母の巡礼」吉田秀夫】
 乙女とマリア様の運命を破壊した原爆のむごさを、今更のように感じた。忘れてはならない出来事である。
【「砂の器 殺人行」歌狂人 卍】
 松本清張の「砂の器」のオマージュのようなミステリーで、よく書きあげたものだと、感心した。また、直木賞や芥川賞と受賞した作家のその後の逸話などに詳しく、面白く読まされた。
【「夢の如くにて御座候(その2)」新名規明】
 斎藤茂吉と恋仲になった、ふさという女性の関係を和、歌を挟んでたどる。短歌や音楽には艶話が、創作意欲をかきたてるらしい。そうした趣味がなかったのが残念。いいものなんでしょうね。
【「直木賞のこと」宮川雅一】
 地元出身作家と直木賞の関係が語られている。作家・澤田瞳子さんが、新田次郎賞を受賞した時、その表彰式には、自分も晩年の伊藤桂一氏について行ったものです。《参照;澤田瞳子さんの新田次郎文学賞授賞式から》
【「知の巨人 渡部昇一」長島達明】
 愛国的な論客だった様子が記されている。特に敗戦以降の東京裁判のイメージに沿った日本の世界に対する姿勢に、問題意識があったようだ。現在でもこの問題は残されている。晩年に自分はベンチャー企業の経営者に連れられて、渡部氏の講演をうかがったことがある。病を得ていたようで、やや消耗されていた感じだった。
【「渋沢栄一の長崎講演」草場里美】
 時流である。時代が異なると、社会のリーダー像も変わるようだ。
【「古代日本の形成と渡来人―主役は韓人ではなかった」藤澤休】
 日本人の存在と韓人の関係をこのようにとらえる話を知らなかったので、その意味がわからなかった。この話に、海賊の倭寇のことがでてこない。自己流の研究によるだけだが、朝鮮半島や中国の日本海側は、彼らが襲撃や強奪を行い、迷惑がられた話である。倭国は、取り締まりの要求をされたという。その時に、おそらく暴れまわって子種を残してきた可能性がある。また、沖縄は独立国で、九州も薩摩隼人族で独立していたようだ。北海道はアイヌの地で、奇妙なことに沖縄人とDNAが似ているそうだ。また、秋田県の多くは、ロシア系の血流の痕跡があるそうで、秋田美人の要因だそうである。薩摩族へは、倭国が本州から攻撃、激しい戦いで、かなりの犠牲者がでて、平定した。その時に、犠牲者の鎮魂をしたいという人がいて、祈りをささげた。その内情は、神社神道は清めと祓いしかなく、魂をおさめるということがない。ところが、仏教には鎮魂法があるので、お経をとなえた。そこから日本で仏教が広まり、道徳を説くことで、神社にも一目置かれたという。また、天皇家は特殊で、現在は朝鮮系の痕跡があるそうで、それがないと別流の血筋になるそうである。DNAを基本に、いろいろな発想があっても良いのでは。コロナの感染でも、日本人は独自の反応を示しているようで、日本人は周囲と断絶したとろのある民族であるらしい。
紹介者=「詩人回廊」伊藤昭一。
《文芸同志会・2021年12月10日》

第82号
【「ハウステンボスを創るということ」長島達明】
 巨大なリゾートと観光施設を何もない地域に建設し、バブル崩壊後に変遷と困難を乘り越えたハウステンボス。執筆者がこの事業施設の立ち上げから参加した記録である。その章の分類を紹介する。1、「神近義邦社長のこと」。創業者の神近芳邦氏(2020年に亡くなる)。2、「シャンデリアの話」。3、「レンガの話」。4、「『壁画の間』のこと」。5、「池田武邦先生のこと」。この項には、馬込文士村の住民であった作家の宇野千代が麻雀仲間であったことなどが記され、驚かされた。6,「結婚」。これらが内容豊富で、資料としても貴重なものに思う。現在、NHKTVで、日本の戦後時代に関する資料が、オランダやポルトガルで発見されており、世界の覇権争いに深く関係していることが明らかになってきている。その視点からの歴史のつながりも注目される可能性がある。
【「八十路を超えて(5)」田浦直】
 長い議員生活の記録で、よくぞ使命全うしたものと、まず敬意を表したい。平成元年に島原で、天皇両陛下の植樹祭のお手伝いをしたことや、フランスの航空機コンコルドが人気だったとか、そんな時代もあったと、感慨深い。戦挙はみずものというが、2006年ごろだったか、武見太郎の子息で、議員だった武見敬三氏が任期切れ。比例代表で立候補した時に、演説会に応援参加した記憶がある。その時に、楽勝に思えたのに、落選してしまったのには驚いた。すぐ復活し現在は政界で活躍しておられるが、あの時の驚きの想い出は消えない。
【小説「アメリカの影・長崎の光」吉田秀夫】
 長崎天主堂は、1945年7月26日、終戦間際に米国の長崎への原子爆弾投下で、破壊された。語り手の「私」の母は、その時22歳。被爆した母は、純真高等学校を卒業したが、教会シスターにならず、信者として女学校の事務職をしていた。多くの犠牲者の出たなで、奇跡的に助かる。しかし、大やけどをした顔には、片目のふさがったケロイドの深い傷跡を残す。そのうちに米国の原子爆弾障害調査委員会(ABCC)の組織の米国人が来日。原爆被爆乙女24人を米国に招待。1年間かけて、その傷跡を直したという。読みながら心が傷つき、また少し癒された。伝聞によれば、マリア像も破壊し、その顔も激し損傷したが修復はされていないという。
【小説「稲妻と案山子」遠藤博明】
 「私」は、還暦をへてサラリーマンからリタイア。趣味のカメラマン生活に入る。すると妻から離婚届を渡され、役所に届けてほしいといわれる。娘がいるが、とくに異論はなさそう。そうした事情を背景に、波佐見町・鬼木郷の案山子祭りを撮影旅行にでる。そこで、案山子の服装をした死体に出会う。ミステリアスな軽い読み物として、大変面白いものになっている。文章力と構成もきちんとしていて、作家的な手腕が冴えている。
【「大東亜戦争論」藤澤休】
 世界帝国主義の時代に、西欧諸国との侵略競争に参加した日本の旗頭が、西欧列強の支配から、アジア諸国を開放する大東亜共栄圏の確立であった。それは単なる侵略の口実ではなく、その思想の実施を示した各国での日本軍の行動歴史を著者が選択して列記している。インドでは、1、日本兵を讃える歌(マニプール州マパオ)の章。マレーシアでの日本軍上陸に始まる歴史「日本軍コタバル上陸」が英軍の抑圧から解放したと、同国の教科書に記されていること。「マラヤ独立隊」の創設で貢献したこと。インドネシアの独立に支援した実績。ベトナムの独立に協力した日本軍兵士など、戦後日本の存在を認知して、友好を強める要因になっている。日本の行った戦争の内容の意味を、見直す資料になっている。敗戦国となった日本は、東京裁判という世界列強が、日本を壊滅させるための恣意的な判決で、国の再興を阻んだ。日本は世界の脅威でないことを強調するために、自虐的な精神を世界に示し、やっとその平和性を世界に納得させてきた。米国は戦後の日本の台頭をどれだけ阻止してきたか。中国は共産党の正当性を示す道具としての反日政策をとってきた。中国の日本評論のなかで、あれだけ悪逆非道な日本に対し、一部を除いて、多くのアジア諸国が反日でないのは、不思議と首を傾げている。歴史の内容と意味を考える良い資料であろう。まだまだ、取り上げたい作品が多いが、ネット紹介の長いのは読まれないので、このへんまでにします。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。2021年6月11日

第81号(1)
 このところ生活環境の変化に、執筆が思うようにいかない。そこで、書いたところから順に記録しておくことにした。今回の本誌は、読んでも考えさせられるものが多く、すぐには紹介できないものが多い。
【「ひるこ様の海(後編)」片山みさと】
 ひる子様というのは、ある漁村のひるこ神社の神である。村で育った思春期からのレズ的な関係の女性と、男たちの物語である。そこで、村の伝統の夜這いの習慣があったが、その後、その儀式が復活し、現代でも行われる可能性があるという。暗闇のなかで、誰ともわからぬ村の男のとの女性とのまぐわいの場をひる子神社が提供する。この夜這いの儀式について、詳しい説明がある。伝統的な夜這いが、現代の不妊症の対策や、家族系の継承に如何に役立つかを、教えられた。いわゆる種のない夫と妊娠可能な妻のケース、その逆のケースを、この夜這いという儀式を行うだけで、子孫を残す可能性があることがわかる。昔の伝統的な儀式の合理性について、学ぶことができる小説である。夜這いの風習について、民族学者の赤松哲介の説を読んだことがあるが、このような視点ではないように思ったが、関連はありそうだ。
【「聖母の微笑」吉田秀夫】
 実話をもとに、小説的な記録をしたものであろうか。江上シスターが、1930年に純心聖母会という日本で最初の女子修道院を設立。そこの修道女たちは、米軍の長崎原爆のよって、焼かれ死ぬ。それが、神の意志ならの残酷きわまりない、悪魔的な存在であるが、どこまでもシスターから学んだ神の精神を信じ、死ぬ間際まで神への感謝とシスターへの愛の喜びを語って、亡くなっている。修女たちのその信仰の純心さに、美しさと、信仰心の強さにうらやましくも、可哀想のようにも感じ、涙が出そうになった。語り部としても見事な作品である。たしかに、神は彼女たちの心を救済している。唯物主義的「無」思想の自分だが、天国が存在することを祈る。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。2021年1月25日

第80号
【「ひるこ様の海(前編)」片山みさと】
 N半島の東岸にある山にひるこ様と呼ばれる神社がある。ひるこはイザナギとイザナミの神が国産みをした時に、最初に産んだ神であるという。このひる子様の神社を巡って、高平真帆という女性の運命を描く。自分は、こうした連載ものは、通読しにくいので、取り上げないことがおおいのだが、本作は読み物として、大変優れた表現性があるので、おすすめ作品として短く解説したい。その要点は、物語の進行がすべて場面の連続で語られていることである。そのため、霊性を描いた幻想的な話でも、そこがきちんと場面として描かれているので、鮮やか情景をもって、存在感に満ちて読み取れるのである。作家としてのイメージ形成力が発揮されており、自分は引き込まれ、面白く読んでしまった。作者と物語の距離感も十分で、自分の小説感と一致する。小説と作文の基本的な違いは、基本的には、作者が小説であると思えば、そうである。しかし、客観的には、場面の連続で話を進めるか、状況説明で話をすすめるか、のちがいである。物語を進めるのにふさわしい場面を考えるのが創作である。多くは、想像力をもって場面を作るのが、面倒なので説明で済ましてしまう。それでもなお、面白く読ませる人は文才があるといえるような気がする。自らに文才あるかどうか、まず知ることが必要であろう。
【「テネシーワルツ」吉田秀夫】
 パテイ・ペイジの「テネシーワルツ」について語りながら、情感豊かに青森の三沢基地で出会った時の印象を語り、彼女のベトナム戦争とアメリカ人精神の葛藤を描く。エッセイかと思ったら、たしかに読後感は小説であった。テネシーワルツの歌詞の訳もあって、読むうちに、日本人でヒットさせた江利チエミなどの人生が心をよぎり、ジンときて、しんみりとしてしまった。
【ヒカル その1」櫻芽生】
 ヒカルの生活体験であるが、人物像としてどのようであるのか、微妙なところの作品。
【「美術館物語~プラドからの風(2)」麻布真】
 地域文化と国際都市の文化の交流が語れていて、今回は上海との関係を面白く思った。
【「[真珠湾ー日米開戦とルーズベルトの責任」長島達明】
 アメリカの政治構造については、「暮らしのノートITO」で、憲法と人種差別精神、金融、選挙システムなどを記事にしてきた。特に、日本の従属国政策は、あまりにも米国ファーストを貫いたもので、日本人を洗脳してきたのか、日本人がそれをうまく利用してきたのか、その事情の理解に役立つと思い、別途、紹介することにした。《参照:「アメリカの鏡・日本」の概要(1)長島達明氏の評論から》特に「アメリカの鏡・日本」じぶんも、よく知らなかったので、その概要は大いに助かる。また、真珠湾攻撃の事前情報漏えいの件は、多くの情報が飛び交う中で、その選択眼が問題であることがわかる。
【「梅ヶ枝餅」発祥の地はどこか?」新名規明】
 地域名産というか、その発祥を追う中で、芥川龍之介や菊池寛の活躍が織り込まれて文学史的にも興味深いものがある。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。2020年5月26日



第79号
(2)
【「芥川龍之介と永見徳太郎」新名規明】
 芥川龍之介が28歳のころ、菊池寛とともに長崎にきたという。永見徳太郎という人の文壇的な人生が大変興味深い。芥川の貴重な資料もあるようだ。新名規明・著「芥川龍之介の長崎」(長崎文献社)、同「永見徳太郎」(同)がある。街には「永見徳太郎通り」があり、読売新聞の石田和孝・文化部記者を案内したという。通りの写真もある。やはり地元ならではの文壇史があるものだ。
【「長良川」吉田秀夫】
 10年前に30才代で結婚している語り手の「私」は、父親に育てられた。母親はいない家庭であった。その父親が病死した。そこから話が始まる。父親に「私」の家庭に住むことを勧めたが、独り暮らしを続けた。父は、母親のいないことや、「私」の生まれた当時のいきさつを語ることがない。生活のなかで、その事情を知るヒントを得ていく。出生の追求を問題提起にして、話の運びが自然で興味を掻き立てる。そして、父親の満州での悲惨な体験のなかで、亡くなった親友との思いを「私」は知ることになる。ざっくりとした文章のすっきりした味わいが魅力的である。
【「美術館物語~プラドからの風」麻生真】
 N県の政策企画部都市構築推進課のマコティンという職員が、美術館や博物館関連の建設に関する経過を語る。地元に人には面白いのではないか。
【「グランドキャバレー」砂田良一】
 昔、東宝映画で森繁が社長で、小林桂樹、加東大介、三木のり平などが出演の社長シリーズが流行してから、石原裕次郎の日活時代らしい。サラリーマンのキャバレー通い全盛期のお色気遊びのあれこれを描く。明るい筆致で、いろいろな女性の性癖などを軽い立ち居で描くお色気話。女性と行為をしたことをもって、一人前の男になったという、懐かしい発想などが描かれ、そういえば、そうだったという感慨もでる。自分は、これより弱めの性的な場面を説明した作品を「小説家になろう」に投稿しておいたら、2年後くらいになってサイトのチェックで、作品が削除された。しかし、当然だが書店販売の小説雑誌には、それ以上の過激な表現の作品が多くある。紙の本でしか表現できない作風の存在があるのではないか。
発行所=長崎文献社。紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。2019年12月14日 

第79号(1)
 本号から書店やネット販売を拡大するため、雑誌コードを付け、長崎文献社のHPサイトの品そろえに加わっている。巻頭の評論【「逆立ちした公共事業『石木ダム』~憲法13条<幸福追求権の危機>~」城戸智恵弘】は、現在の国の治水政策の在り方を、地元地域にそって、その施策の影響を批判的に指摘している。「暮らしのノートITO」の《『石木ダム』を城戸智惠弘氏が評論「ら・めえる」79号》国のダム政策論に事例として一部紹介した。地域の問題には、解決のために原因をさかのぼると、県から国の方針にたどり着くものがある。その典型的な事例でもある。
【「朝鮮通信使の使行録に記述された壱岐・対馬」草場里美】
 朝鮮半島は豊臣秀吉に侵略攻撃を受けた。ところが徳川幕府になると、通信使がきていたという。1607年から1811年の第12次まであったという。姜弘重のその初期の記録から引用している。その中に、日本から、対馬藩が偽書を用いて、朝鮮との戦後処理を含んだ交流をはかっていた。対馬は朝鮮半島に属しているという意識と日本の国内事情が、分かるところが興味深い。このような関係のなかで対馬藩が朝鮮半島に誘いをかけ、それに応じた朝鮮側の様子からすると、感情的なものを押しのける相互に利益のある交易関係が続いたのであろう。豊臣時代に人的な略奪もあり、そこら日本に移住してしまった半島人が少なくなかったらしい。交流記録にも互いの感情的な内心の不満が見えるものもあり、また、虐殺した半島人の耳塚の記録などは、加害の記録がある。現在の日韓関係の感情的ないざこざの要素を、理解する手掛かりになる。
【「徴用工問題は存在しない」藤澤休】
 かつて日韓条約で日本の植民地化した時代の諸問題を、韓国側ですべて対応するという条件があったーーという日本政府の主張に対し、文大統領の指名した最高裁判所が、個人的な労働者の慰謝料は別として、現在の大企業の資産から慰謝料分を株式売却で埋め合わせるということにした。それまでの、日本に立場からの交渉のなかで、日本の出した支援や、その労働の実態への解釈から、韓国の姿勢が狡猾であるいう趣旨のものが主張されている。この問題には、政治問題を話題にしない傾向の他の同人誌でも、同様の主張がみられるので、よほど感情的に不満があることがわかる。客観的に言えば、日本と韓国は併合にあたって戦争をしていない。そのため、いまの韓国は、政府の大勢が変わったので、この条約は無効と姿勢であると判断できる。韓国は、さっさと事情が変わったとして、自国の法律に資産から没収すればよいのではないか。国際的にみて、それほど珍しい事例はないような気がする。大東亜戦争のロシアの裏切りの体験もある。国際的な取引には、リスクが伴うのは当然で、企業はそのリスクに対応するしかない。
  それが、そうならないのは、前記の「朝鮮半島通信使」にあるような、かなり朝鮮半島人の温血が続いた末に、感情的な類似性なども影響して、非論理的なやりとりが行われているのであろう。悲劇なのは、日韓関係のついて当事者に決定権がなく、米国が決めていることであろう。また、米国がかつての独裁国家として戦争したという主張に反するようなことはしないので、日本の味方をするわけがない。米国の慰安婦像も米国の戦争を正当化するから、設置を認めているのとしか思えない。世界の雰囲気は日本を含む過去の帝国主義的行動に手厳しい。戦争被害を国に弁償させるような活動「リドレス」といって、世界的な傾向だそうだ。これからも「反日商売」、「嫌韓商売」が両国にはびこるであろう。どれも、それで生活する人たちの宣伝合戦のように見える。距離を置いて、現代の時流として受け取るしかない。それはともかく、文大統領の韓国革命の南北統一の実現は遠くなったのではないか。
【「八十路を越えて(二)」田村直】
 参議院議員を勤めた人の回顧録。戦後文学青年であった作者は、45歳の時に海星学園の文学愛好家の先生、卒業生が集まって、海星ペンクラブを結成し「ら・めえる」が発行されたという。作者は、はじめて短編小説を書き発表した創刊のメンバーであった。橋本白杜編集長が10号まで担当し、その後継を作者が務めたという。そのなかで海星ペンクラブを「長崎ペンクラブ」にしたのだという。同人誌から地域のリトルマガジンになる過程が見えて面白い。
【「佐多稲子『樹影』文学碑建立の経過」宮川雅一】
 文字通り、長崎出身の作家・佐多稲子の長崎を舞台にした作品「樹影」の文学碑の建立の経緯を丁寧に記録している。建立には関係者の根回しや費用の調達など、詳細が記録されている。地域の文化事業方針に関連するが、参考になるであろう。それにしても、俳人で亡くなった金子兜太の碑が生前に、各地で80基も作られたと聞いているので、その時は、どんなだったのか、気になる。
【「『裏切られた自由』-ハーバート・フーバー大統領の『大事業』」長島達明】
 世界が帝国主義戦争をしている時に、日本が遅れて来た帝国主義を行っていたころからの、日米関係についてフーバー大統領の著書をもとに、そこにあった事実を指摘して老いる。たしかに、日本が石油の制裁を受けていた時に、日本からは鮎川義介が、米国商人から輸入する話を進めていたという話を聞いたことがある。それが突然の戦争で不可能になったという。開戦の謎である。また、自分が20代の頃、韓国の生活状態を写した写真集をみた記憶があり、さらに遊女の絵葉書集などもあって、その記憶からすると、とても今の韓流ドラマのようではなく、そのギャップに違和感がある。まだ創作に面白いのがあるので、次回に続ける。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。2019年12月12日 (木)

第78号
【「八十路を越えて」田浦直】
 作者は82歳だとある。健筆ぶりに感心する。このなかで、医師になろうとした時に、命のかかわる病気と事故にあったが、それらを切り抜けたという。その後、政治の世界に入り、田中派、中曽根派、二階堂派など、派閥の活動の盛んな自民党から参議員議員に立候補したようだ。人間の人生行路を知ると、宇宙空間での生死の運動の不思議さを感じざるを得ない。
【「長崎の唐寺を世界文化遺産に」新名規明】
 唐寺というのは、航海女神馬租を祀る廟がある寺で、長崎にしかないそうである。寺というのは、時の世相にしたがって、宗旨がかわって、承継されているものも多い。解説によると、隠元禅師がかかわっているということで、禅宗の系列に入るのであろうか。まったく知らない話なので、興味深く読んだ。多くの文化遺産のある長崎の重要地を知る人は少ないように思う。
【「『電力の鬼』に思う」関俊彦】
 現在の電力会社と業界の礎を作ったとして、松永安佐ヱ門の存在は有名であったが、戦前のことや戦後のGHQとの交渉の詳細は知らなかったので、参考になる。本論でも触れているが、東急電力のその企業体の継承について、松永精神であったら、原発についても違った対応があったのではないか、と思わせる。国策民営という名目で東電は倒産をしないでいる。その負担が世界でも高い電力料金にかかっている。電力を安くすれば、生産性が上がるのに。さらに松永のような交渉力をもった人が駐留米軍基地の協定にあたっていたら、現在の米軍占領的不平等はなかったろうな、と考えてしまう。
【「『国家と宗教』忠誠と反逆~信仰に育まれた世界遺産(その2)」城戸智恵弘】
 前号おけるこの論は、読者反響が大きく、潜伏キリシタンについてなど、いろいろな意見が届いたという。本稿では、中国のキリスト教徒とバチカンとの間が、妥協するのか、対立弾圧をするのかという、不透明な現状に触れている。中国の共産党独裁のもとでは、無神論と宗教の自由を建前にしながら、人民の心情的集団化は、警戒排除する方向にある。はたして、人間が物質的な豊かさへの夢だけで、多民族国家社会を形成しうるのか、大きな問題を考えさせる。本論では、江戸時代にポルトガルが占拠した長崎の出島権についての権利関係の実態に迫る資料の検証が有益である。いわゆる領土問題の支配に関する名目と実際の形は、現代にも通じるものがあるからだ。
【「教会領長崎」吉田秀夫】
 江戸時代の長崎に思い入れの強い「私」の意識が1500年代にタイムスリップするのである。表現力に無理がなく、説得力をもって、読者を長崎の過去と現代を往復させる。
 本誌にはその他、長崎に関する歴史的な資料に満ちものがある。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。《文芸同志会通信》