南 風
第51号
【「塩卵焼き」江藤多佳子さん】
もうすぐ50歳の信二は親から受け継いだ八百屋を営み、パート従業員だった麻美の部屋へ通う関係が続いています。麻美は美人でもなく太っていて、他人への気配りもできません。とにかく鈍臭くて怠惰です。そんな麻美のどこに信二が惹かれたのかが、よーく判ります。最後はどんでん返しのような結末が待っています。麻美に去られた信二の、優位に立とうとする心の内もおもしろく読みました。
【心中異聞(四)「白扇」宮脇永子さん】
時代小説です。遊び人の勝市に嫁いだふみは、厳しい姑にもつらく当たられて苦労します。江戸時代の貧しい農村の内情や風俗が詳しく書き込まれています。ふみは夫の借金のため身売りをさせられますが、生きていくための強さを感じます。作者の以前の作品もですが、当時の史料がそのまま書かれているようでより現実味があります。
【「母の句会」和田信子さん】
娘の視点で、実家の解体に伴い母との思い出が語られます。母の葬儀では複雑な環境に置かれた幼い男の子が長身の青年になって現れたり、句会に参加された婦人に再び出会ったり、母と娘にとっての人との結びつきが暖かく描かれています。これからは、こんなこともないのだろうなあと思いました。以前はお葬式には親族を始め友人、ご近所さん、所属する団体やなにかの縁があった人など多くの参列者がありました。訃報は瞬く間に広範囲に広がり、思いがけない懐かしい再会もありました。それがコロナ禍で「近親者で済ませました」との報告だけになりました。個人情報との兼ね合いもあって、やたらとあちらこちらに知らせることもなくなりました。もう元には戻らないでしょうね。
byひわき2022.06.05
第49号
【「恐る恐る薄氷を踏んで」二月田笙子】
題名は「薄氷を踏んで」となっていますが、私の印象は薄氷を踏んでいないように感じます。主人公である老境の女性は自分のことを「人との距離は淡泊な部類の人間」という通り、揉め事に遭遇しても関わらないように見過ごします。隣に引っ越してきた母子のことが気になっていますが、関わろうとしたところでまた何処かへ越して行ってしまいます。それぞれのエピソードはとても興味深いのですが、何も起こらない。それらの背景にあるものを知りたいと思いました。
【「相続」渡邉弘子】
父親を亡くした主人公が相続税の申告をする話です。実際にやってみた方は、人ひとりがこの世から消えてなくなるというのはこんなにも大変なことなんだ、と思われたでしょう。主人公も田舎の田んぼの相続税のことで動き回ります。その経過が細かく書かれています。最後はそれまで疎遠だった叔母夫婦や従姉妹との交流ができ、「繋がりが強まったことも、父が残した遺産なのではないか。大切にしなくてはと強く思った。」と結ばれています。新しい視点や目を引くような出来事はありませんが、最後に穏やかな気分になりました。
【「馬吉」宮脇永子】
江戸時代の農村が舞台です。古文書も引用されていて、当時の暮らしが丹念に書き込まれています。不幸な生い立ちの子どもが、庄屋の計らいで実の母に育てられて成長します。この青年、馬吉は周囲から認められることもなく、それでも正直に働き続けます。そして病気で死んでゆきます。こんな人生を送る普通の庶民はたくさんいたでしょう。そんな名もない人たちの心のうつくしさや、やさしさに溢れた作品です。馬吉と馬のアオとの交流も心に残りました。
byひわき 2021.05.26
第48号
【あぐりさんちの丑三つ刻」宮脇永子】
私はこの方のファンです。現実離れした設定が、いとも容易く作品に盛り込まれています。怪しくも不思議な世界なのですが、ナマの人間がごろっと出てくるような感触を抱かせます。
今回も、まず登場するのは置物の布袋さん。その布袋さんが「芭蕉の葉で作った団扇の柄で、はだけた胸や腹をぽりぽりと掻き、おへそにちょいと突っ込んだ指を鼻先にもっていった」りするのです。あぐりさんの親子4代にわたる物語なのですが、置物の人形や先祖と絡めることによって時空間の広がりを感じます。独特の比喩や文体も、小気味よく響いて爽快感があります。
byひわき 2020.11.03