風の道

第15号
 故人となった作家、葉山修平の未発表作品「思い出の人」が掲載されている。5周忌にあたるとか。本誌の歴史を感じさせるものがある。
【「初夏の風」田村くみ子】
 粋な文章表現で、コロナ過の現代の町の風景描くと思わせながら、故人となった小説講座の講師の思いを偲ぶ作品。個人の口癖や言葉を印象的に表現したところに、芸術性の芸を感じさせる巧みな作品に読めた。
【「梅の侯」荻野央】
 語り手の僕は、サラリーマンであるが、ここでは拘束時間を交換価値として給与を得るという味気ない雰囲気はない。ちょっと気取った趣味性を発揮している。いい塩梅という仕事のバランスから、春先の梅の気配に気分がつながっていく。梅の咲く時期と場所のイメージから、友代という女性の想い出がよみがえる。梅林のイメージの雰囲気にふさわしい女性への懐古を描く。それだけであるが、生活的現実のなかの、普通なら失われてしまう想念を巧く定着させている。物語的ではないので、紹介しにくい作風だが、市民文芸という文学性をもったジャンルに入るのでは、ないだろうか。
【「連れずれ草(三)」澤田繁晴】
 受胎した母親の胎内で羊水時代を過ごした時に、その記憶をたどる話など、自己体験の彩りを加えて、お話を造り上げる。文章的な修練と文芸的な教養を活用したエッセイで退屈をさせない。自己愛と客観性の距離感が絶妙である。
【「雨女――一葉の恋―その〈六〉」間島康子】
 一葉と桃水の存在としての距離と心の接近の情念を、いろいろ想い、思案させる評論。
【「邪心の末に」諸 知徳】
 時代小説の読み物。同人雑誌作品には珍しく、架空性に徹して、虚構の面白さがある。もう少し大胆な飛躍があってもよかったのでは…。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。2021年6月15日

第12号
【「雨女~一葉の恋」間島康子】
 なつこというのが、一葉の本名なのか、彼女と彼女の小説を雑誌社に紹介し、世に出そうとする桃水との関係を、日記を資料に描く。しっかりした構成があるらしく、ふたりの好意の生まれる土壌を抑制した筆致で描き、その切ない事情が理解できる。お勧めの連載である。
【「風のうた」藤原道子】
 母親の亡くなった後の家の風景を題材にする。庭の植え込みの植物を目にしながら、モクレンの樹の根の強さと語る。庭の植物を語りながら、常に母への想いがこめられているのがわかる。
【「桔梗」荻野央】
 庭の植物になかなかの蘊蓄を感じさせながら、子供のいない老夫婦のその過去を潜ませた日常を語る。凝った作品である。
【「行雲流水」澤田繁晴】
 「生き乗る技術」で生きとし生けるものの存在に思いを馳せ、自ら生けることの罪業性をかたる。「来し方行く末」「憎まれ老人世にはばかる」「融通」「欲しがりません。勝つまでは」の各章がなどがある。ここの話題亜は、樋口一葉の伝記のような他人事でなく、自分自身のことだけに限定されている。人は何を語りたいかというと、まず自分のことである。フローベルが「ボヴァリー夫人」をそれは「私」だと、いったというが、ここではそれ以前の、素の「私」を語る。究極の自己表現に至った、それまでの心の経過を推察させる。物語派にばかばかしい話ばかかりである。それにしても、これまで書いていた「澤田家の秘密]は、どうなったのか。
【「日本・私家版「ポランスキーの欲望の館」小川田健太」】
 ポランスキーといえば、猟奇的な事件を起こしている有名な監督である。本篇によると「戦場のピアニスト」の前に「欲望の館」というエロチックな作品があるそうである。そこで作者は自らの性的な体験をイメージ化する作品を書き、その過程を同時に記したもの。欲望を自分で掘り起こす作業として読むと面白い。
 その他、良くも悪くもひと癖ある作品が多い文芸同人誌である。
発行所=〒116-0003荒川区南千住8-3-1-1105、吉田方、「風の道同人会」。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一《文芸同志会通信2020.01.05》