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【「一番暗い時間に、彼女は耳をすます」岩代明子】
 30代後半の独身女性が主人公の長編作品です。たくさんの登場人物とたくさんの出来事が書き込まれています。それら諸もろが混乱することなく、印象深く読者に届いてきます。この方の表現はとても具体的です。「子どもらしい物言いで」とか「優しい仕草で」などの表現は出て来ません。会話や動作そのものを書き込むことによって、読者は「子どもらしさ」や「優しさ」をダイレクトに感じることができます。
 主人公は引っ越し先で耳にするピアノの音が気になります。まったく弾いたこともないピアノを習い始めるのですが、練習曲のもどこかで聴いた懐かしさを覚える曲が選ばれています。主人公は楽器店の2階にある教室へ毎週かよいます。そこでの待ち時間に一緒になる小学生の男の子がとても興味深いです。ピアノは両手で弾きます。主人公はまず右手の練習をして、つぎに左手。できたら両手を合わせて弾くのですが、なかなか上手くゆきません。男の子は左右の手を大好きな恐竜に喩えます。2匹の恐竜が喧嘩をします。だんだん進んできて、恐竜たちが仲良くなって曲が仕上がります。その発想がおもしろいし、説得力があります。最初は挨拶だけだった男の子と馴染んでゆく様子も丁寧に描かれています。
 主人公はこの楽器店のスタッフに惹かれ始めます。なかなか踏み出せない両者が抱えているものがあります。時間を掛けて少しずつ近づいてゆくふたり。マッチングアプリなどでは得られない確かな結びつきがゆっくりと育まれてゆきます。
 とても素敵な作品でした。