ガランス

第28号
【「浄土への岬」入江修山】
 四国遍路の38番札所の足摺岬に「私」は行く。内心の絶望の中で、補陀落渡海という海に身を投じ浄土に行くという宗教心に殉じることを希んでいた。そこに。50代くらいの割烹着をきた女性に声をかけられ、投身を止められる。そこで、彼女の家に泊る。彼女は、ここで一人暮らしをしながら、自殺しようとする人をとどめているのだった。そこで、一yの男女の関係などあって、男は気を取り直して、帰宅する。別の年にこの岬に来てみると、彼女はすでに病死していた。よくある話がだが、この作者の文章における感性が良い。風景も平凡に書いているようで、落ち着いた風情が満ち溢れている。心が静まり、読者を癒してくれる。独特の優れた文章感性がある。
【「風の行方」由比和子】
 夫を亡くして一人暮らしをしていた麻子の義母がやんで入院する。そこで、義母の見守りと、留守の家を守るため、義母の実家に帰る。すると、昔から知り合いの近所の人たちの付き合いが復活する。実は麻子は、親が判らず、それを他人の義母が、自分の子供のように、して育てあげてくれたのだ。近所の人達は、それをよく知っている。そこでの生活ぶりと在所の頃の男女の友達たちとも会う。
 血のつながりのない戸籍上の母子を軸に、しばらく離れていたその母を最期まで見届けようとする麻子。そして、思春期からの付き合いのある友人たちもそれぞれの生活を過ごし、年老いてゆく。日本の家族制度の変わる中で、晩年になって失わない人間性をさり気なく描く。旧い時代感覚での問題提起とその答えになっているところが、とりあえず文学的である。
【「蓑の棲家」野原水里】
 蓑虫を愛好する森の老婆と、彼女と出会って手伝うことになった青年の幻想を伴った変わった物語である。日常と異世界の融合をさせたような、何かがありそうな味のある短編。
【随想「生きてるかぎりオペラ・アリア」八谷武子】
 趣味であったイタリアオペラに力を注ぐ80代の女性が、突然、足回りに激痛が走る。原因は、血液循環の不全らしい。とにかく、書く力に勢いがある。切実感にあふれていて、本作品で、第一の表現力である。実は、自分も昨年秋に、突然脚が痛み歩けなくなった。脊椎神経圧迫で、痛み止めと血行促進剤を服用するしかない。作者に共感する。漠然とモノを書くより、短くても切実感のある文章を書くことが、読者をひきつける。
【「舌びらめ」鈴木比嵯子】
 K市の小観光都市に住む悦子。通りの脇にある椿餅専門店を営む。彼女の視点で、町での出来事が、次々と語られていく。おそらく身近な生活のなかから生まれた作品であろう。タイトルを「舌びらめ」にした意味が、最後に出てくるだけでは、わからない。そつのない筋と意味ありげないタイトル。書き方も雄弁である。どんどん考えが浮かんで、書き込んでいるように読める。そこに才気を感じると同時に、筆の滑り過ぎを感じる。おそらく、マラソンのランナーズハイがあるように、何のための書いているのか意識しなくなる、ライティングハイとでもいう状態になっている痕跡がある。今回の作品の思い付きにそれなりの良さがあるが、深みに欠ける。思いつきの浮かぶのが早く、そこは天才肌でありながら、不発。文学性が不足している。
【「巣ごもり」小笠原範夫】
 高齢者が、現在形のなかで、過去の出来事を回想させながら、家族制度のがっちりしていた時代の出来事を描く。それでも、失われた時代に雰囲気を濃密に描くことに成功していて、面白く読める。村社会の風習の継続性と断絶が表現されている。高齢者には懐かしい風習なども、懐かしくユーモアもって描く。その時代なりに活き活きとした表現もある。ただ、視線が平淡であるのは、懐古的な情感の範囲にとどめて、テーマ性が半分ほどしか読み取れない。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。
《文芸同志会通信》2021年3月 4日 (木)