詩と眞實

第874号・4月号
【「河口の見える理髪店」宮川行志】
 日川太助は、半年前に妻香代の実家「向こう堤」というところに帰ってきた。その土地は、明神川という河口の堤防の上に、ポツンと理髪店が見えるところがある。河口の地形と、その理髪店の看板の大きさと、主人公の顔の怪我による傷の大きさについてが、話の軸になる。この取り合わせは面白く、風土の様子も関心を惹きつける。それは良いのだが、話に無駄が多く、小説的な物語性に欠ける。文章は良いが、語りの手順が悪く、下手というしかない。題材や状況設定はよいのだから、それなりに工夫が欲しかった。内容は充実して、理髪で、髭を当たる場面など、細部は文学的表現で優れているのに、もったいない感じがした。
【「遠野幻想/老人と夢――第5回(19~25)」戸川如風】
 これは、体験の多さを、想像力でさらにふくらまして、長い話になっている。とても面白い。ちょっと枯れていて、社会意識から離れているが、純文学そのもとして、良くまとまっている。完成度は高いのであるが、俗的な物語性が、地味なので理解者は少ないかもしれない。機会があれば、何かの拍子にヒットするかもしれない。
【書評「『輝ける闇の異端児アルチュール・ランボー』井上元義著―ランボー没後130年を経てなお著者の魂を揺さぶる熱い思い」寺山よしこ】
 対象の著作は「書肆侃侃房.」から刊行されており、なかなか品格の高いつくりで、自分は今でも細部まで読み終わっていない。ここで評者はランボーに打ち込む才人・井上氏の心情を推察したり、ランボーの生活の解説などを短く的確に表現している。作者のランボーの存在感の強さへのあこがれの様子。それに魅せられた詩的世界の心情をよくまとめている。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。2022.04.07

文芸同人誌を月刊で発行するシステム紹介
 文芸同人誌を月刊で発行することなど、不可能であろうと、自分は思い込んでいた。また、かつて月刊「詩と眞實」を読んだ記憶があるが、当時の同人誌に対する期待と現在のそれとは異なるので、そのうちに月刊ではなくなるであろうと、考えていた。紹介するのもどうであったか、記憶していない。そのご寄贈されなくなったので、その印象だけが残って、忘れている存在だった。しかし、その後、寄贈されるようになった。それが、現在でも月刊であることに驚いた。現在10月号は856号である。
 そして、本誌には「同人・会員募集」欄がある。--本誌は昭和23年11月、戦後の荒廃のなかから立ち上げられ、56名の文学を愛する同誌の酔って創刊されました。以来、月刊文芸誌として今日に至っています。関心のある方は、下記の決まりを読んで問い合わせをしてください、という趣旨が記されている。このような文芸同人誌の存在もあるということで、会費や自費負担に関する項目を転記してみた。誤記があるかもしれないので、興味のある方は、正確には問い合わせをしてみてください。それにしても、よくこの費用負担で発行できるものだと思う。
「同人清規」
1、同人加入希望者は近作1篇を添えて申し込むこと。加人決定は編集委員の合意による。決定後は同人費3ヶ月以上を前納すること。
 2、同人費は月2千円。未納期間は作品の掲載を停止する。6ヶ月未納の者にして何ら意志表示のない場合は、同人を除名することを原則とする。
 3、原稿の締め切りは毎月15日とする。掲載は編集委員の合議に任せること。
 4、編集・校正はその月の第1土曜日、発送は第3土曜H、合評会は最終土曜日に午後3時より「松葉」にて行う。発送には多数の御参加を乞う。
 5、4百字詰め原稿=2万6千円。連載作についてははその都度、協議の上で負担金を決める。
「会員清規」
 1、会員は通常と特別の二種とし通常会員は、月額500円3ヵ月分前納、特別会員は月額750円以上とする。雑誌代は含む。
 2、原稿用紙3枚(4百字詰め)以内の随筆を発表することができる。
編集・発行人=今村有成。〒862-0963熊本市南区出仲間4丁目14-1。2021.10.27

第865号・8月号2021
【「遠野幻想/老人と夢―第1回」(1~7)】戸川如風】
 語り手の「私」は、熊本から福岡空港に行き、花巻空港まで、それから遠野に向かう。空港に向かうバスのなかで、河童の紳士らしき山高帽に長髪の男と出遭う。空に舞う裸の天女など、見て、語り手の夢想幻想に満ちた旅が語られる。さらに花巻につけば、「銀河鉄道」や「風の又三郎」の作品世界に入り込む。柳田國男の世界の雰囲気もある。とにかく文学味あふれる幻想と現実のごっちゃになった光景が展開される。面白い工夫で、構想が確立されていて、楽しく読める。これぞ文学と感じ、一息で読み通せた。この文体なら、長くても大丈夫。さらに河童男が同行していたら、もっと面白いかも。
【「だるまや」植木英貴】
 親しかったおじさんの病状悪化をきいて「僕」はかけつける。そこからおじさんとの昔からの交流で、可愛がってもらった思い出が語られる。そして臨終に立ち会う。そのときに,おじさんと玉虫を見た。かつて、おじさんと玉虫を見た時のことを思わせる。丁寧にかけているが小説的な感じはない。体験談なのであろうか。
【「刷込み~緑色に輝く透明な空の彼方に~」右田洋一郎】
 中学生の時代からの出会いがあり、彼女に恋人にして結婚。共に人生をすごし、妻は55歳で持病をもつようになり、67歳で亡くなる。美しくも愛おしい記憶が残る。2頁の散文であるが、その思いの伝達は、「だるまや」のおじさんの話よりも強く心を揺さぶる。
 本誌には、どの作品にも、文章を順に読ませる速度感がある。じつは、次の同人誌はどれを紹介しようかと思って、何気なく手に取ったら、巻頭に面白い文学的なものがあったので、それに引き込まれて読んでしまった。たまたま、好みに合ったのかもしれないが。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。2021年8月11日

第864号
【小説「姫子さん」寺山よしこ】
 姫子さんというのは、幼児期より知的発達障害のある女性。学校の障害児担任の時の生徒であった。今は40歳を越えているが、彼女については、低学年の生徒のころから、その成長を「私」が長年、これまで観察してきたその記録である。彼女の行動の詳しい部分は、おそらく直接的な触れ合いの濃厚な時期であろう。成長してから、触れ合い薄くなった関係になっている様子がわかる。障害児の成長ぶりを外部視点から40歳まで観察記録する。このような形で表現するというのは、小説としては問題提起に関わる芯が埋れてしまって、成功しにくい。しかし自己の体験から、知的障害者の人生を指し示すというのは、この人を見よという姿勢で、悪くない話になっている。その実態の一部を世間に知らしめるという意味で、充分有意義である。章立てを見ると「小さな食卓」で、可愛い女の子になることを想定して姫子とした父親。実際は難産で、斜視になって、目つきがきつい。物心がつくと、気難して癇癪もちであった。「お絵かき」の章では、学校で絵を書くようになったので、上手と褒めると、さらに上手くなること。さらに各章で、成長する花子のエピソードが、自然な見方で、その生活ぶるりが、明るく描かれる。本来はもっと苦労している事例もある筈であるが、ここではそれに触れず、屈託なく明るく表現されている。同人誌であるから読める、一人の人生の記録である。
【「イエスの足音」木下恵美子】
 隠れキリシタンのエリアとして世界遺産に登録されたエリアにある長崎・生月島を探訪する話である。フランシスコ教皇が日本に滞在し、被爆地の広島や長崎を訪問され、 核兵器の廃絶を訴えられた出来事が、「わたし」の語りで、説明される。私は熊本出身で、教員生活25年になり、教会から離れて信仰らしきものはなく、仏壇に妻と手を合わせるが、それは妻の祖先と父親むけで、クリスチャンだった母親だけ別にする。そういう境遇のわたしの話であるから、あまり密度のある話は語られていない。社会的には、世俗のなかで、祈りをしてしまう「わたし」が語られる。生徒であったのか源治や壮太や、その家族の話から、隠れキリシタンにも地域に差があって、「オラショ」一つとっても、多種類あるあることがわかった。信仰の伝承と宗教共同体と個人の信仰心のずれなどの悩みがあることが知らされる。現代のカトリック教会のきまりと、隠れキリシタンの子孫の信仰のあり方の現状が語られる。現在に至ってのさまざまな、社会的な軋轢があることがわかる。多くのことが萬べて、自分には大変意義のある良い作品である。「イエスの足音」というのは、生月島のある場所で聞こえるところがあるという設定で、なかなか面白い。前の「姫子さん」は、日本の社会福祉制度について、の視点を避けており、も本作も信仰の自由と社会制度問題提起になるものであるが、それをごく個人の心境小説にしているところが、初々しく、いかにも同人雑誌的である。広く社会に読まれるものとしては、問題点の追及があまく、尖ったところがない。自分が同人誌に関心をもって紹介するのは、これらの問題がどのように表現されるか、というところのフィールドのワークでもあるので、本号の2作品にとくに興味をもった。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。《文芸同志会通信2021年6月20日 》

第862号
あびる諒さんの詩「脂肪が足りねぇ」は挑戦的で目と脳を奪われてしまいます。非道徳的な内容なのに、どこか胸がすくような刺激的な作品です。
byひわき2021年 3月29日(月)

第860号
合評会記=「詩と眞實」1月号
 「詩と眞實」は毎月発行され、前号の同人たちの詩・小説・随筆などの作品評が「合評会記」として、記録されている。ここでは同誌2月号に記されているもののうち、小説2編とエッセイについての部分を抜粋転載させてもらう。
【小説「赤髪の女神―第1章・解発囚」森創太郎】
 大学の美術部内で繰り広げられる青春群像が鮮やかである。読んでいるとさわやかな気持ちになる。自由奔放に若さを謳歌する登場人物たちは個性的で魅力的だ。ヒロインの沙知は、グラマラスで性格も自由奔放、強烈な個性で周囲の先輩たちを圧倒する。しかし、周囲も振り回されているかというと、そこは強面で強烈な性格の主人公に上手く制御されて調和を保っている。大学4年生の主人公は新入生の沙知をヌードモデルにして、絵画を描くが手を出すことはしない。二人の間は、喧嘩をしたり、一緒に絵を描いたりと、離れたり近づいたりして読者をやきもきさせる。第2章、第3章と続いていくらしいので続編が楽しみである。会話がうまい、あまりに読み易いところが気になった。もう少し引っ掛かりがあったほうが良い、言葉使いか時代背景と合わないものがあった、などの意見が出た。
【小説「かりんとう」階堂徹】
 主人公の母に対する愛情がジンワリと感じられた。家族の愛憎が素直に描かれ、家族だかこその悩みや嫌悪が詳しく描かれ.Lいるのが良かった。短くてもビリッと味のあ.る小説
である。出席者全員から高.評価であった意見は次のとおり。
 長男を特別視する習慣はお国柄が現れていて面白かった。題名が効いている。母親の哀しさが胸に迫る。終わりに希望を感じさせた。細かいところにミスがあった。主人公たちの暮らしている場所は、丘の上であるらしく、丘の下にした方がこの作品のイメージに合うと思われる。場所のイメージをもう少しはっきりと描写して欲しかった。
【随筆「種種の」林恭子】
 顕名の通り,木当にいろいろな考えが次から次へと展開されて読者がついて行けないような不思薦な感覚になる。(出席者六名、北原記)
 なお、本号(2月号)には、第49回「詩と眞實賞」の受賞作が発表されている。
韻文の部(詩)=該当作なし。散文の部(小説)=右田洋一郎「風のテラス」「ニューハーバー前編・後編」などの作品に対して。散文の部(小説)=階堂徹「チョッター」「唐揚げ」などの作品に対してーー。投票総数三十六票であった。
――そこに選評結果と受賞者の言葉が記されている。伝統の存在を示すもので、同人の文学精神のたゆまぬ情熱の継続に敬意を抱くしかない。自分は、高校生から社会人になる時に、詩作から当時の職業作家の主催する同人誌に参加し、師が亡くなり、その後継同人誌に入るなど、計3つの同人誌に参加したが、2誌は、いずれも現在は活動停止状態である。継続は力なりというが、それはたやすいことではない。
転記転載者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。《文芸同志会通信2021年2月25日 (木)》

第859号
合評会記=「詩と眞實」12月号
 「詩と眞實」は毎月発行され、前号の同人たちの作品評が「合評会記」(出記)として記録されている。自分は、とてもその発行頻度に読むのが追いつかずにいる。そこで、この「合評会記」を読んだところ、実に優れた紹介になっており、わかりやすい。そこで、それを転載することで、紹介に代えたい。同誌の新年号に掲載されたものである。転記ミスがあるかも知らず、そこはご容赦願います。また、詩作品も評があるので、なにか方法を考えて、みたいものです。
【小説「顰め牡蠣」宮川行志】
 東京のある出版会社の祝賀会に出席した夜、友人に達れられていった「オイスターバー」との思い出が、作者の過去の深く関わっていた「牡蠣」と思い出が、緻密な文章次々に展開して行く物-語である。「.牡蠣」を生業としていた父親と閏係で、「.牡蠣」.の世界へ入っていくが、牡蠣養殖が下火になって、将来.への道を断念し、全く違う分野の学校へ進み、教師.の仕事に就く。さらに、に五十を過ぎて.の赴任先で、偶然に「顰め牡蠣」の群れに出会い、再び「牡蠣」取りにのめり込んでいく。考えてみれば妻との出会いも牡蠣との縁であった。壮礪への思いは今も衰えることなく,牡蠣の再生への祈りがしみじみと漂う。経験なしでは書かかれない文章で,文句なく、全体に素晴らしい作品で、物語りの展開もよく、好評の意見が多かった。牡蠣の養殖が衰退していく様を、もう少し突っ込んで書いて欲しかったという意見もあっ.た。
【小説「八月の光(第10話)」武村淳】
 八月.の光は原爆の投下された光であり,そして未来への希望の光か。主人公が朝.の出勤途中に立ち寄った公園で、数羽のカラスに出会うことから物語は始まる。そ.の中一.匹が、彼に自分は昔.八間だったと語る。さらにそのカラスは主人公の安波.のかっての親友、蔵川.で.あることを知る。そこでカラスの世界の白カラスに今黒カラスたちは困っているという話を聞き、安波もカラスに変身し彼らに力を"貸して活雁し白カラスとの争いを納める協定を結び、平和が戻る物語だ。
 人間と鳥、あるいは地上とカラスの住む世界が自由に行き来する世界が、違和感なく読めるのは、作者の戦争批判が通底にしっかり流れていからに違いない。
 作者の架空の物陥を作っていく力が感じられる作品だ。物語のファンタジー-にも違和感なく入って.行けたという意見が多かった。
【小説「三角発島原行フェリー(第11話))武村淳」】
 三角から雲仙への行き帰りの問に、天上界の最高神耳毛多.師の愛人雪染に九羅塩王子を誕生させ、妻女伸多瑠美亜との数千年に及ぶ怨恨の物語りを織り込んだ、激しくも壮大な物語である。内容もよくわかるように描かれ、葉平の妻毬安がフェリーで帰省するところから物語は始まる。毬.女が猫の化身という設定は,この物語を読む側に近付けてくれ、身近に感じられることで違和感を払拭させてくれる。
 この小説も、架空の世界で繰り広げら.れる戦いも現実のものででもあるという作者の思いはここでも明らかだ。全体に面白く読んだという意見が多かった。天上界と地上界、登場人物、情景描写が素晴らし、作者の力量がうかがえる作品となっている。(出記)
発行所=〒862-0963熊本市南区出仲間4-14-1、詩と眞實社。
転記転載者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。《文芸同志会通信2020年12月22日》

第856号
 本誌を読み終えたので、紹介を書こうかと思っていたら、もう11月号が届いていた。改めて、同人誌を月刊で発行することの、すごさを感じた。
【「ベーコンとイルカ」斎藤てる】
 主婦の私は、40代。小学2年の息子がいる。夫とは、いつの間にか心のなかで、「あいつ」と呼ぶようになっている。こうしたことがわかるまでに3頁は読まなければならない。物語るという心がけがなくても、小説とするのが、書く立場からの同人雑誌の良さであろう。読む方も、ただで読むのだから文句は言えない。離婚、乳がん、それが大変だと言いたいのか。随所に工夫をした形跡があるので、書いていて充実したであろうが、読む方は井戸端会議を聞くようで、どうも……。現代的な文学の中には入らない感じ。
【「飛べ、フラミンゴ」あびる諒】
 まさに現代の家族関係やそのよじれを、渦中の女性の立場から描く。義父からの性的な虐待があって、スナオという若い女性の生活態度を赤裸々に描く。男女の夜の世界の性液の臭いのする水商売である。なかなか若々しい筆致で、読ませる。文芸同人誌の多くは、社交の部分をもっているので、露骨な表現は避けられてしまうのだが、これはそうしたこともなく大胆な表現で目を見張らせる。品位に欠けるという面もあるが、それは作者の意図がどこにあるかに関連してくるので、何とも言えない。自分は、商業誌向けに、書いて長すぎると採用されなかった作品があった(40枚が普通)。ミステリー調のトリックに、性交場面を入れたものを、ネットの「小説家になろう」に掲載したが、公序規定に違反すると、削除された。
 なお、雑誌「季刊文科」82号に、今村有成発行人の寄稿がある。伝統のある月刊誌形式の継続が危ぶまれた経過が記されている。
 本誌11月号には、10月号の合評会での「作品評」記録がある。
 「ベーコンとイル力」にいては、乳癌に冒された40代女性の物語。夫婦愛、子供愛、親子愛をテーマに,海辺の景観を詩的に取り人れた素直で、哀しく.逞しい作品。書き込んで欲しい所が書き込めていないし、新しさもない。この程度の事で.悩まないでくれ、と思う。夫と妻との関係が具体的に書かれていないうえに、離婚時のことが書かれていないなど誤魔化して書いてある、など厳しい指摘もあった、また、主人八公は、育ち.もいいし.性格も純,感受性も豊かであ.ることが窺えるが、苦しいことなどを悪として自身から追い出そうとしているのではないか、との意見も出たという。
 「飛べ、フラミンゴ」については、ザラッとした乾いた文体で、新資本主義下の日本で.生きる若者達を、動物園で羽根を切られて飛翔できないフラ.ミンゴにダブらせて書かれた作品。両親が離婚、再婚、義父からの性的虐待などの影響を受けて育った高校一年の真夏スナ.オ。社会性があり、好評価であったが、表現が汚いという指摘があったという。
 ――なるほど、と納得した。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。《文芸同志会通信 2020.1022》

第854号
【「チョッター」階堂徹】
冒頭の主人公の風体があまりにも異様なので、興味をそそられて最後まで読んでしまいました。途中も途切れることなく、悲惨な状況がこれでもかこれでもかと出てきます。しかし主人公の明るさと人懐っこさ、前向きに生きてゆこうとする姿勢が爽やかです。「チョッター」は韓国語で、「良い」という意味だそうです。
byひわき

第850号
【「『柵』」辻一男】
腎臓透析を受けている主人公のこれまでが、病状の進行や母との関係を絡めて語られている。解りにくい部分もあるけれど、そこを理解しやすく説明すると全体の雰囲気が壊れてしまうと思う。息子を受容し育てた母は病院で死を迎える。臨終に立ち会えなかった主人公は柵が倒されているベッドで遺体と対面する。最後は猪の描写で終わっている。猪が入ってこないよう農水路の暗渠部分に取り付けたフェンスの向こうに猪を見つける。この猪が闘争心や殺気は見せず、むしろ人懐こくかわいらしく見える。柵(フェンス)の向こうの猪と、ベッドに取り付けられた柵の中の母のイメージが響き合い、主人公の悲しみを感じさせる。短い作品だが、読後感が後あとまで残る。
byひわき