星座盤

第16号
【「海辺に降る雪」苅田鳴】
 北海道でホームビルダー企業の営業をしている時田は、札幌で税理事務所を経営する仲村という男から、海辺近くに家を建てる注文をうける。海辺に庭のつながっているプライベートビーチに感じるようなところがよいという。時田は、ほかに町中のよい立地の選択を薦めるが、仲村は譲らない。そこで、注文に合う海辺に家を建てる。仲村の妻も夫の要求に従順であろうとしている。こうした新しい家への希望のなかで、注文主の仲村には、片脚を切断する病気に見舞われる。家のできあがりへの希望と、仲村の病の悪化が進む。仲村は両脚の切断までいく。それでも家を障害者用の設計変更をして、完成をよろこぶ。そして、仲村は死んでしまい、その後、家にひとり住んでいた夫人の火の不注意からか、火事になって全焼してしまう。変わった話で、家の新築と注文主の運命が反比例する経緯が、暗い運命の印象として残る。仲村とその妻、営業の時田の3人の人間的な内面描写に不足があるが、妙に重い印象を与える。話の素材と運びにかんしては、作家として黒岩重吾の初期の作風を思わせる。構成から雰囲気作りに作家的な手腕を感じさせる。それにしても、タイトルが、テーマを持たない漠然としたものからすると、本当はなにを表現したかったのか、作者の無自覚性が気になる。
【「犬と暮らしたい人」三上弥栄】
 タイトルそのままで、ペットに犬を飼いたい女性のお話。女性の人称も「誌音さん」、夫は「夫さん」という言い方である。タイトルも「誌音さん」を「人」と称する。町角での会話で、「私って、○○のひとなのー」というような言い方を耳にしたことがある。小説の文体に多様性が増してきたようだ。
【「真実」清水園】
 真実という名の女性のところに、かつて大学性時代のゼミで教授が教材につかっていた太宰治の作品のひとつ「人間失格」送られてくる。送り主は、同じゼミにいた猪野というゼミ仲間であった。彼女の存在は、スクールカースト的にみて、下位の目立たない存在であった。真実は、つまらないことをする猪野のことに侮蔑心をもって、同様のことを当時の学友に行っているのではないかと、あちこちに電話で問い合わせてみる。そのうちに猪野の知られざる実態が、友達仲間の話からわかってくる。そして、実際は、彼女は裕福な家柄の娘で、真実よりもカーストの上位の存在であったことに気づく。大学生活の階級的な差異を題材にし、面白く読ませる努力に感心した。
【「かりそめ」水無月うらら】
 スーパーのパン工房で働く男の「わたし」は、自転車で転倒し、指を怪我して、傷をつくってしまう。そのため仕事を休む。すると、おおらかな性格のコダマくんという男が、片手で不便であろうと、私の部屋に泊まり込む。わたしもコダマも、B級グルメというか、食べ物にうるさい。「孤独のグルメ」ならず、二人のやもめ男のグルメ話に花が咲く。自分は、食べ物に執着がないので、よくわからない。
紹介者=伊藤昭一。022年10月15日

第15号
【「同舟」水無月うらら】
 マッサージ店に就職した女性の仕事ぶりを事細かく、丹念に描く。体験談のようで、ここまで細部にわたると、文学作品になる。面白いし、その筆力は大したものである。揉んでいる最中の客の凝った肉体が、一つの自然物のように迫ってくるし、深く分け入るようなところを感じさせる。風俗小説ではあるが、それを超えている。今は亡き伊藤桂一氏は、「物事を細かく書き抜くと面白く、文学的になる」と語っていたのを思い出す。締めの切れ味もよい。
【「焼き飯」清水園】
 客の入らない中華店のようであるが、語り手になる学生がはいってみると、婆さんが焼き飯を作ってくれる。それが、定番で2階では賭場を開いているのがわかる。この婆さんと、賭場の常連の男とのやり取りが、面白い。男が賭博で調子がよくなってから、破綻するまで描く。短いが中身が濃く、よく書けている。作者の力が出た作品になっている。これも締めの切れ味が良い。同人雑誌であることを忘れさせる。
【「透明感あふれる美老男」丸黄うりほ】
 芸能界の下らない出来事がネットニュースに欠かせないらしい。この作品は、少女アイドルと、美しく老いた老人アイドルの存在する世界を、諧謔に富んだ表現で語る。随所で笑わせる。かなり長いし、構築した世界をしっかり描く表現力に感心する。同人誌にはもったいない。
【エッセイ「ある休日に」織部なな】
 京都に父親が一人で住んでいるという。大変だなと、思わず読んでしまう。しかし、話は母親との思い出。そんなものですな。
【「機密のラーメン」三上弥生】
 近未来の国の人間データー管理とラーメンマニアとの組み合わせで、なぜか禁止されたスープのラーメンを探して食すまでの話。出だしはいい。だが、国民が大豆アレルギーになったり、データー管理されたり、リアル感のある題材と近未来であることの必然性がわからないところがある。
【「踊り子のファンタジア」苅田鳴】
 スカミという踊り子が死んだそうだ。ガンジは、頭の上半分がパカッと開いて湯気が出る感じがしたーーとある。それは嬉しいのか、悲しいのか、怒りなのか、わからない。スカミのことが思い出に記されるが、どう受け取ればいのか、よくわからない。同人誌でなければ読めない難しい作品のようだ。ーー本誌は、どれも若者の生きる世界を活写するところがあり、なかなかの読み応えでである。例によって誤字脱字はご容赦。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。2021年10月 5日 (火)

第14号
【「永遠をばかにする」丸黄うりほ】
 タイトルからして観念的小説である。のぶこが昇天する間に、様々な身辺雑記が述べられる。すべて現世人の感覚である。のぶこが生きていても、死んでも状況は変わらない。首をかしげたが、改めてタイトルに思いを寄せると、なるほど、永遠などどうでもいいのだ、と納得した。
【「あるコロニーの、桜」三上弥生】
 桜のある地域のコロナ禍の世界を、イズミ、タカシ、ユキエ、コージ、サナエ、マサノリの6人の視点で身辺を描く。作者は頭の中で作り上げた人物に詳しいので、興味が乗るであろうが、前知識のない自分には、誰がどんな心境であるのかなど、気にすることがないので、どうでもいい話に読めた。書く立場からすると、何か新発見がるのかもしれないので、手法として紹介する意味はありそう。ヴァージニア・ウルフの「波」という小説も、6人の視点で構成されているが、独白体である。
【「手の中の水」水無月うらら】
 冒頭に30代女性の独身女性の、もやもやとした自分の心境を語る。どうもそれは、風変りの父親との関係おいての問題らしい。読み手である自分とは世代が異なるので、その生活ぶりや、思考の様子は面白くは読める。時代の流れの中で、このような問題らしきものがはっきりしないまま、生き方とその気分を描いたように見える。情念の表現も淡白で、私小説的でもない。平和感があり、純文学的としてこだわりの表現はあるが、その世界は狭く自分にはピンとこない。スマホをみながら歩く人を見る脇で見ているような、他人感を感じさせる。
【「徘徊」金沢美香】
 大通りで試供品としてカイジュウヨーグルトというのを配布していたので、それを受け取って、家で飲む。そのせいか、夜眼らなくても、辛くなくは働けてしまう。そのヨーグルトの頒布場所はもういない。製品についてネット探すが、検索で出ない。不都合はないのだが、病院で睡眠薬をもらうが、眠れない。そのうちに新しいことにつては、忘れやすくなる。生活に確認作用が必要になる。それで日常生活というものは、そんなものだ、と思っている。おかしな小説だが、こうした発想の原点にこだわり、書いていったら、読者がつくかもしれない。
【「残されたものたち」清水園】
 コロナ禍で夫を亡くしたらしい妻が、夫の7回忌を迎える。近未来小説らしい。ワクチンは、まだ開発されず、マスクの生活が定着して居る。考えて想像した、未来社会を描く。社会全体ではなく、個人生活の範囲なのが、こじんまりと、まとまっている。
【「岩出三太の一日―序章」織部なな】
 前半は、三太という若者の、解放的で自由で幸福な生活ぶりが、丁寧に描かれる。この部分の表現は巧い。うらやましい気分で読み進む。ところが、後半に入ると、ある日に突然に警官に踏み込まれ、逮捕されてしまう。読んでいて、えっ、カフカの「審判」の世界か?と驚かされる。それから雑居房と強制労働や運動に苦労する。どうなるやら、というところで終わるが。とにかく、面白い。解説者がいて意味ありげな解説すれば、価値が高まるかも知れない。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。《文芸同志会通信2020.11.04》

第13号
【「他言無用」清水園】
 勤め人だった「僕」は、小説家になりたくて、仕事を止めて創作に専念している。その時には、反対をしなかったらしい連れ合いは、何時までも鳴かず飛ばずの夫に愛想をつかしたのか、去ってしまった。それ以来、一人で文学賞を狙って、創作生活を続けている。その間に、居酒屋に通うようになる。そこで、アルバイトの女店員と知り合い、文学の話をする。その間に、ある文学賞へ応募もしてるが、かすりもしない。いつものように、居酒屋にいくと、すでに女店員はやめている。話は、その女店員は、その男を材題にして、彼の落ちてしまった文学賞の公募に当選していたことがわかる。いかにもありそうな作家志望者を皮肉った作品。
 テキストとしての基本設計は、できている。しかし、設計の細部が足りない。たとえば、去ってしまった妻の意味が薄い。売れない作家志望になっている間に、何か妻の気に入らない決定的なことがあるとする。「僕」はそれに気付かない。だが、世間話で話を聞いた彼女は、そこを見抜き、小説の題材にする。「僕」そのことで、自分の人間的な欠点を思い知らされるーーというような設定を満たす発想がいる。また、娯楽ものにしては、文章が素直すぎて、ストーリーの運びにアクセントがない。村上春樹が読まれるのは、比喩や暗喩を多用して、退屈なところを通過させているせいでもあろう。
【「りだつダイアリー」三上弥栄】
 うつ病を持ちながら、会社勤めをする人の生活日誌。減薬に苦心する様子が記されている。病をもって、仕事をするのは、大変だと思うと同時に、うつ病の薬が多種類あるのに驚く。自分も、アレルギー症から、自律神経失調から栄養失調になった挙句、うつ病と診断された。体質に合うアレルギー薬をみつけたことで、安定剤に切り替えた。その経験から、書かれている薬の種類を減らす努力を興味深く読んだ。よく、仕事中に眠らないものだと感心する。これは推測だが、医師は患者が薬の副作用を訴えると、それを抑える薬を処方するのではないか。そうなると、どんどん薬は増える。人々は、表面上は元気に見えても、内情は病をかかえて、隠して戦っている人は多いはず。自分もそうだった。多くの人に参考になりそう。
【「息災」織部なな】
 還暦を迎えた古仲葉子は、子供が独立し、夫と二人の生活になっている。社会的な人的交流の機会が減ったと感じる。趣味の仲間の家族が、病気になったり、なくなったりする。そんな時に泉という男と知り合い、古典を読む会などの勉強会に誘われる。そこで、ときめきのようなものを感じる。刺激の多い情報社会のなかで、細やかな感覚の表現がある。小説であるから、それなりに、若年寄りの世間話に読める。人間はどんな目的があって生まれて来たのか答えは見えない。人生の過ごし方に迷いがあるのは、若者でも同じ。還暦で見う失いがちな生きる欲望に、如何にして出会ったか、という発想で書けばもっと普遍性が強まるのでは、ないだろうか。
【「可燃」水無月うらら】
 妻子ある男と若い女性の現代的な恋のはじまりと終わり。女性の孤独な心境と、その立場で生きる決意が描かれる。男性との交流の絡みが淡白に描かれていて、日本食的な風味のある作品。切った髪の毛にこだわるのだが、それも突っ込みが浅いため風俗小説の範囲。どこかで、深くこだわりを作って見せないと純文学にはならないのではないか。なぜか、なんとなく、サガンの若書きの「悲しみよこんにちは」や「ある微笑」を思い浮かべた。
【「祖父の家」丸黄うりほ】
 ワカナは、町の高台にある祖父の家を訪れる。何かが起きたらしく急いで駆け付けた。行くと皆がすでに集まっているという。屋敷の庭には、さまざまな変わった花が咲いている。豪華な料理だが、よく見ると紙でできている。いろいろとおかしなことがある。集まった親戚もボール紙でできている。このふしぎな世界は、ワカナはすでに死んでいて、彼女のためにすでに亡くなっている親戚が迎えにきていたのだった。ワカナがまだ若いのに心臓発作で突然死していた。「もうお前は死んでいる」の文芸版だが、面白く読んだ。藤枝静男という作家が、「空気頭」という変な作品を書いているが、文学味が深い。本作品も世代が異なると、このような表現になるのかな、と思わせる。
【「公民館」金沢美香】
 派遣労働者であった語り手は、5年間連続して契約すると、正社員にしなければならないという法律が出来たので、5年直前に契約解除される。そこで、故郷に近い町にふらりと行く。この程度の動機でなんで? と、思うがよくわからない。父親は、長男の彼が派遣労働者であることに、抵抗感を示していた。現在の制度に、まだなじまない家長父制度の流れ、これは作者の世代的なものを示すのか。自己表現としては読めるが、新しい土地に住んだ語り手もその他の登場人物も、印象的な特徴がない。「死にたくないから、生きている」。それは当然のことで、なにか活き活きとしたものがない。各地の神社では、死者がでることを予想したお祭りがある。実際に死者が出るのに、毎年行っている。それで生活に活気を作り、明日を生きる力を産んでいるのではなかろうか。そういうことを考えさせる作品である。
【「スティグマーター replica dool-side snow」新井伊津】
 美貌の若者のゲイ的生活を中心に、その具体的な行動を描く。教授にサービスをして点数を稼いだり、生活を支えたりして暮らす。生活のなかに浸みこんだ、ゲイ活動で、それが美貌の若者の特権のようになっているらしい。
 とくにストーリーのようなものはないようだが、物語としては、何かの事件か、出来事を軸にしてこうした世界を展開したら、読後感に区切りがつくような気がする。間接的にLGPT意識の高まりの反映として、同時代性があり、面白く読める。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。