労働者文学

第87号
いわゆる経済社会は労働者と資本家の階級闘争の時代にあるとされていた時代の雰囲気を残した雑誌である。思想と文学の関係が様変わりした現代に、どのような姿をしているのか、自分でも考える意味で、《参照:生活の中の「労働者文学」87号=派遣社員のゆとり現象》でも取り上げてみている。
【「鎧の風鈴」(荒川真人)】
マンションの鉄筋作業が得意のとび職人である恭太という男の物語。ちょうど彼は、現場のマンションの高所での鉄筋作業をしているのだが、眼下に彼の育った実家が見える。そこには今も父親が住んでいる筈だ。母親は若くしてなくなり、幼少期の記憶しかない。父親は、彼の幼少期から、ことがあれば、暴力をふり続けてきた。実は、父親は土木会社を経営して、家庭を支えてきた。彼の師匠の鳶の親方の鷲崎さんは、偶然にも彼の父親から仕事を受けたことがあり、知り合いなのであった。そのため、恭太に絶縁した父親と会ってあげたらどうかと、勧める。彼はこれまでの恨みを捨てて、そうすることを決める。良く出来た小説である。母親の立場も書き込んであり、短いながら良くまとまっている。労働者の立場という社会思想性よりも、文学性を重視して決めたと思われる。
【秋沢陽吉「学校に行けなかった愛国少女ー何度でも言う戦争はいやだ】
取り上げたのは、本誌85号、86号の「戦争はいヤダ」について、戦時中の暴力教育の実態を挙げ、さらに小林信彦の小説「東京少年」、学徒動員した軍需工場の暴力を記した「無名戦士の手記」その他、戦中の日本の風土として、指摘している。そのことに、異論はない。だが、これは日本人だけの戦時中のこととするのは、不満がある、自分が1942年戦争中に生まれたが、敗戦になってから、2年後には小学校、それから中学校まで、教師は戦前の教師が、給に国の方針や手法が民主的になるわけがない。小学校では、教師はスパルタそのもので、気にいないと、教壇の上に呼ばれ、足蹴にされた。中学校では、教室の生徒全員が校庭に呼び出され、「並んで、歯を食いしばって、両脚を踏ん張れ」と命令され、硬い長細い出席簿で、ビンタをもらった。また、黒板を指す竹棒で思い切り頭を打たれ、竹棒が割れたら、お前のせいだと、またそれで殴られたものだ。そんな教師をどうしたら尊敬できるのか。自分は聞きたい。いくら、民主主義にしろと言われても、精神はそう変わらないのである。人間性のなかに暴力支配の要素が存在しているのである。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。《文芸同志会通信2020.09.05》