季刊遠近

第80号記念号
「80号記念号などで思うこと」と題する文章のうち作品の感想部分のみ抜粋しました。
「道の空」の労作に感銘した。もう一つ、三〇代からのうつ病の人生を語った「生きる意味を捨てて」(保坂青水)が、体験記として興味深かった。
《文芸同志会通信》2022.11.28

第79号
【「同人雑誌放浪記(一)」藤太小太郎さん】
またテレビ番組の話ですが、「家ついて行ってイイですか?」が好きです。わざとらしい再現ドラマなどなく、市井の人じしんが語る生き様に感動さえおぼえる時があります。初老男性が身内との縁が切れ、その日暮らしのような日びを送っていたりします。そんな登場人物を観ると、人が生きていくために夢や希望や将来の目標なんか必要ない、と励まされている気になります。
当エッセイを読んで、似たような心持ちになりました。最初に著者の生い立ちが語られますが、自己顕示も自己憐憫もない文章は素直に読者の心に入ってきます。やがて著者は小説を書き始め同人誌に参加します。平成5年頃のことです。当時、同人誌が書く人たちにどのように受け入れられていたか、内部ではどんなことが起こっていたか、また「文學界」の「同人雑誌評」の存在など記録としても貴重と思います。
byひわき2022.05.16

【「祭りの場」花島眞樹子】
 小説として、形式と内容のバランスが一番良い。夫が病んでいるが、医師から余命いくばくもないと告げられているが、「私」はそれを夫に知らせていない。夫の病室から窓の外を眺めると、赤とんぼが群れている。この冒頭のところは情感表現に切れ味がよい。その夫が手帳に日記を書いているのだが、そこにチャーリーという名が出てくる。その名について思いめぐらし。倉原千恵という女性を夫が好きで、現在も交際している痕跡ではないかと、思い当たる。「私」の嫉妬心の自意識や、その経緯が語られる。そのなかで、「私」は、子どもいて夫と安定した家庭で暮らしきた過去から、夫婦愛とはなんであるが、という内心の問いかけをする。その表現に文学味があって実に良い。そして夫は亡くなるので葬儀をするのだが、そこでの花輪を飾る儀式のなかで、それを夫への祭りとも感じてしまう。たしかに、人は祭りのなかに死を内包させているのだということをしみじみと感じさせた。
【「逃げたカナリア」難波田節子】
 話の素材は、子供の頃の、逃げたカナリア話である。時代は場所は読んでいて読者の想像できるようになっている。あまり面白い話ではないな、と思いながら読んでいたが、隣のカナリア逃がしてしまった「私」の気持ちが、地味ながら伏線となって、結局面白く読んでしまった。子どもの心理を大人の視点で描いて、成功している。
【「屈託」浅利勝照】
 出だしは好調で、興味をもった。が、ちょっと思惑とは外れて、言いたいことは、このことかと、読後わかる。居酒屋にいるときに、知らない男から、村の婿だろうと言って、悪口を言われるとこるなど、その村ってどんな村、と驚かせられた。そういう話の運びが面白かった。
【「フォト・ピストル」香山マリエ】
 トオルという幼なじみと、「私」は年月を経て会う。お定まりのパターンであるが、それしかないのは仕方がない。文章の出だしは開放的で期待させる。構成も理解できるが、トオルと「私」の関係がごたごた書き過ぎ。物語を考えるときには、構成と登場人物を持ち出す。長編でないのだから、どこかに個性にあるところを印象的な人物とし立ち上がらせねばならない。ここでは、「私」が高校に入学した時に、トオルが<○○高校にいったのか、もっとましところにしているかと思った>と「私」を見下したようにいうところがある。この場面を「私」とトオルの人物像立ち上げる軸にする。あとの雑事は簡略化した方がよいと思う。
【「引きこもり将軍」逆井三三】
 足利義政と義満、義持の帝王ぶりを、現代の感覚で受け止めた、珍しい歴史小説である。なるほどそうか、と思うところがある。
【「道の空」(七)】藤田小太郎】
 その時代の事情は、米国との外圧から抜け出そうとした後であると思う。明治天皇のもと、近代日本として完全独立していた時代。根底に独立国と従属国の基本精神の違いがにじんでこないのが惜しい。教科書を読む史実はのようで、現代性が薄い。
【「同人雑誌放浪記(一)」藤田小太郎】
 文芸同人雑誌に二流や三流があったなんて、全く知らなかった。ほかにどんな同人誌があるのか、一流や四流のちがいもあったのだろうか。面白そう。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。2022.05.18

第78号
【「甘いゼリー(その一)」山田美枝子】
 介護生活の記録である。冒頭に「末期がんの88才の老母を半年余り自宅で世話をし、あの世に送り出したあと、今また84歳のボケ老人になった姑を世話しているというのは、他人は美談とみるが、私の嫁としての虚栄心をくすぐる仕事でもある。」と記す。(注・会話の中での「ボケ老人」表現は良いが、物語の中では、「認知症」が適当であろう)――このことによって、作者が、日本の家族制度の因習の世界がまだ存在することを示していて、興味深い。高齢者の介護を美談とみる社社会のなかにいるのである。この作品は、介護生活をしている人たちにとって、共感と孤立感から救ってくれる良い読み物であろう。自分も似たような境遇にあったので、その当時を想いだした。続編を期待したい。
【「強きを助け、弱きをくじく」逆井三三】
 皮肉にも、社会の本質を記したタイトルである。足利時代の権力者である義満の事情を分かり易く語る歴史小説である。義満の人柄などを良く表現している。武士の権力があった当時から、天皇は権威者と権力者として、政治力を持っていたことに注目すべきであろう。義満は明の皇帝から日本国王に認知されて、それまで武家の頭領の征夷大将軍が、日本の権力者として、天皇をしのぐ権力者の地位を築くきっかけとなった側面がある。
 その他の作品もそれぞれの良さを発揮しているが、新味にかけるところが物足りない。なかに、情緒不安定な人が語り部になるという設定の小説があったが、その視点では、語っていることの信頼性に弱点がある。小説は、どんなに不自然なことであっても、そう書いたら無条件にそうであるとする仕組みを持つので、考えて欲しいところだ。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。2022.03.02

第77号
【「バイバイ」山田美枝子
 瑤子という母親のお骨を、オアフ島のワイキキで散骨する。撒いた骨が風で舞い戻ってくる。この冒頭のところに感心した。しかし、表現意欲の強さに対し、お話は焦点がやや甘いものになっている。母親の介護で下の世話をするところなども描くが、その大変さに、なぜ耐えられたのか。かなりきつい作業であることを感覚的に伝わるように描きながら、それでも耐える心の形が、推察できるように整理されていない。過去の出来事を追いかけ、何とか母親との関係を、浮き彫りにしようとする努力の連続である。いろいろ書くうちに、やがて涙が溢れて、感極まり、自分が母親の分身であり、その喪失感情と悲しみに「おかあさん、バイバイ」という言葉に、やっとたどり着く。小説になる糸口に立ちながら、小説家的な探求手法が今一つ不足を感じさせる。世間的な苦労話に受け止められそう。同人誌という場があるから書けたのかも。その割には文学的な成果を見せているところもある。
【「雨があがって」花島真樹子】
 大学で英語を学ぶなかで、文化祭での演劇に参加しているとも子。家庭は義母と父親と同居。うまくいっている。LGBTの彼氏もいて、若い女性の素人から専門家としての大人に向かう姿をえがく。水彩画的な一編。
【「駅舎にて」森なつみ】
 ローカル線の終着駅に行って見たい。体験的と想像力の産物で、鉄道マニア的なロマンの味わいがある。
【「風冴ゆる」藤田小太郎】
 先の見えた老人夫婦のある日の姿。普遍性がある。事例を知る手掛かりになる。
【「丘の上の住民」難波田節子】
 だいたい、事件が何か起きるわけでもないことあろうと、読み始めたが、文章の流れだけで、文学的な何かを訴求する時代ではないような気がした。
【「スパム」浅利勝照】
 好意を持っていた女性を破滅させた「スパム」という男を殺してしまう話。文章も構成も内容とアンマッチで、なんとも言いようがない。
【「母恋」小松原蘭】
 母親との関係を書きたいのか、何が問題なのかわからない。自分は書かずにいられない、といって書いているが、起きたことの事実がきちんと伝わるように書けていない。介護の話の下世話は、多くの人が語っている。これが新しい小説になると思っているらしいが、同人誌の人って、文学についてどんな話をしているのか、興味が湧く。
【「欲に生きるには」逆井三三】
 若い引きこもり男の行動が独白体で語られる。引きこもりにもいろいろあるが、かなり行動が活発で、自意識に押しつぶされることもなく、仲間の女性を性欲の対象として、何とか口説き落とそうとして、理屈を並べるところが活き活きとして、面白い。彼女の反応ぶりも良い。このような作品が読めるのは、うれしいものである。小説が巧くなったのか、ギグシャクしたところがないのに感心した。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。2021.10.15

第76号
【「西へ泳ぐ魚」小松原蘭】
 純文学的な作品で、「私」の視点で、小学四年のころ住んだ小高い団地から、そこから見下ろせる町なのであろうか、そこの町の住人になって1年になる。町は地図で見るといびつな星に見えるように川が入り組んでいる。そこでタイちゃんという上級生らしい少年に出会うが、転校してしまう。話の主体は町の雰囲気であるように思えるが、タイちゃんを心で追う私の心の風景が並列的になっている。雰囲気づくりは文章的に巧く表現されている。話の手順にイメージを浮き出させる手立てが緩い。西へ行くというのは、西方浄土を意味するのであろう。才気があるようだ。が、構成にたどたどしさがあるという印象である。とくに「私」が少女の視点から抜け出ていない。それなのに、大人の考えるような死の話を進めているのが、アンバランスなのだと思う。「そう思った」というのが、結びの言葉である。自分が小学生の頃、先生は、生徒に作文の終わりに困っている子がいたら、「そこはね。自分がそう思ったか感じたことを、と思った、と書くのよ」と教えているのを見ている。せっかくの文学的な作品を結局、作文にしてしまった失策、と自分は思った。
【「寒風」浅利勝照】
 安紀子は、総持寺で訳もなく倒れ気を失ってしまう。それから正月の三日に、亡くなった武田巧臣という男が夢枕に立つ話になる。それも二晩続いて夢にでて、身の回りの話をする。武田って誰? と思うが、居酒屋の経営者らしい。霊的世界との交流が、現世の続きのように語られる。それにしても、道元禅師の総持寺を引き合いに出すのは不似合のような気がした。
【「木漏れ日」花島真紀子】
 市の職員で、係長代理に昇進して間もない私には、娘の千恵がいる。千恵は、貿易商社に勤めたが、5年ほどして、怪しい男が、いつも狙っていると、言って、会社を辞め家に引きこもっている。私は、千恵が小さい頃に、夫と離婚し。ている。彼の方からの一方的な、べつの女と暮らすためだ。夫は、家と娘の養育費は、与えて去った。千恵の方は、次第に精神に変調をきたしていて、その介護に私は悩ませられる。そこまでは、読み通すとわかることで、作品では、私が、病院で意識を取り戻すことから始まる。その理由は、ある日、千恵が隣の家に人が、嫌がらせをしていると、思い込みバケツに水を持って、抗議に行動を起こす。それをやめさせようとているうちに、神経が混乱し、倒れて意識を失ってしまったことがわかる。ところがそうした事態になると、娘の千恵が、母親を病院に運ぶ手配をてきぱきとやってのけたらしいことがわかるのが面白い。「私」にすれば、夫の離婚を納得しないまま、行ったことが、千恵の幼少期の精神に悪影響を与えたのではないかと、罪の意識がある。その後、娘は精神の不調から脱するために、現代的な精神病院に入院することなる。こうした家庭では、さまざまな問題が存在するが、それに悲観することなく、それを人生の一部として受け入れていくという、「私」の姿勢が好ましく受け取れる。
【「薔薇の季節」山田美枝子】
 母親と若い娘のコミュニケ―ションのあり方を描きながら、その視線を若々しい娘の肢体において、眺める母と、娘は自分の恋人にしか興味を持たない関係が、描かれる。一種の中間小説的な面白さがある。「薔薇の季節」の題名でで、意味が読み取れるが、その香りはあまり強く感じさせない。
【書評―読書感想文「わら草履-下澤勝井」難波田節子】
 下澤勝井という作家の「わら草履」という掌編小説集の内容紹介がある。昭和初期の戦争の時代の田舎の暮らしを描いたものらしい。下澤氏の名に記憶があるので、さがしてみたら「土曜文学」の創刊号の記録があった。どうして記録したかわかは、今はいきさつを覚えていない。《参照:同人誌「土曜文学」創刊号(東京・昭島市)発行日=050401》。
《文芸同志会通信・紹介者=「詩人回廊」北一郎2021.05.24》

第75号
【「女友達」花島真紀子】
 剣持智恵子という女性は、夫の女友達である。子供も小さく、まだ若い主婦時代の頃、舞台女優をめざしていた「私」だが、夫から彼女の訪問を知らされる。「私」の釈然としないこだわりを無視して夫は、智恵子が離婚したばかりだから寂しいのだろうと、思いやりを見せる。夫は彼女と同じ同人雑誌で小説を書いていた。智恵子がやってくると、畳の上で寝ころぶほど寛いでいる。やがて夫が病を得て入院、その時に智恵子が見舞いにきて、「私」二人の心のつながりの強さを感じる場面を目撃する。やがて、夫は45歳の若さで亡くなる。すると、智恵子は、くよくよとしないことと励まし、彼女の家に遊びにくるように勧める。
 その後、智恵子の家に遊びにいくと、多くの友人が彼女に出入りし、麻雀などで交流が頻繁に行われていることがわかる。中には妻帯者で子供いる男性もいて、偶然に彼女がその男性に、一晩泊って行くように頼み、それを男性が断って帰る様子をみてしまう。
 智恵子が、家族制度を超えて自由に人間関係をつくり、そのことに価値観を見出しているようだ。そうなった要因について、彼女が話してくれたことを思い出す。「私」は、彼女の行動にある程度理解をしながら、今の家族制度のなかで、生きていくことを自覚する。
 短編小説としてよくまとまっている。まず、問題提起をし、物語の運びは、それを示す具体的な場面でする。そして、小説テな意味での問題提起の答えもきちんと示す。手堅い創作手法が生きている。
【「江合川」浅利勝照】
 なぜか、姉と弟とが夫婦になった家庭に生まれた兄妹のうち、妹の凜という女性の短い生涯を、同情的に描く。素材が平凡でないが、表現としては、とりたてて印象にのこるものがない。
【「ボレロ」山田美枝子】
 47歳の女性が、娘とその友達の現代っ子ぶりに振り回される話。彼氏の評価のなかに、性交時のコンドームのつける様子の良し悪しがあるとか。なんとなくわかる話だが、人物の身の上話との緊密度が薄い感じ。
【「裏庭の木槿」難波田節子】
 甥の昇に気に入れられている夏子の視点で、彼の行状を温かく見守る。離婚して再婚したらしい姉の様子や甥の性格、行動の観察などを、読み手の気を逸らさず面白く語る。作者は、なんでもない出来事を、それなりの環境を創作して、人間的世界を作り上げる文章技術は抜群である。日本のジェイン・オースティン的な存在だが、日本では、時代と場とタイミングが合わなかったのであろう。
【エッセイ「サラリーマン海道物語(二)」結城周】
 鈴鹿といえばホンダでしょう。ボクシングの原田、海老原といえば、昭和の戦後復興期のすぐあとのころの話。懐かしいのが、事務作業のコンピューター化初期の時代で、カードにパンチを入れていた時代。すっかりそういう時代があったことを忘れていた。自分はおそらく同時代に、東京スポーツの印刷工場と同じ会社に、原稿入稿や校正に通っていたものだが、それまで職人さんが鉛の活字を拾っていたのが、女性が原稿の文字を紙テープにパンチを入れると、そのテープを読み取って、活字が出てくるのである。懐かしい時代を思い起こして感慨無量である。
【「何を求めて」逆井三三】
 鎌倉時代の足利直義と尊氏、後醍醐天皇に楠正成、新田義貞と、それぞれの思惑で、風見鶏風に行動する様子を描く。
紹介者=「詩人回廊」・北一郎。
《文芸同志会通信 2021.3.12》

第74号
【「名護の酒」浅利勝照】
 タイトルから沖縄の話ばかりと思ったら、ラスカイルという高校生時代の英語教師の死を知らされ、沖縄の紀行とラスカイル教師の話が、重層的に語られる。こういうのは、どのように紹介をすればよいのか、迷ってしまう。沖縄を知る人には、興味があるだろうし、それなりの感性の表現になっている。ただ、文学的には精神の充実が足りていない。本人が語りたいことがあって気が済むならば、それも良いかな、と思わせる。
【「雪に埋もれた家」花島真樹子】
 手法は、秘め事のある女性が、高齢になって、その過去を打ち明けるというもの。意地悪であった叔母を階段から突き落としてしまう話。事故のように見えて、誰にも疑われなかった。語りは「私」であり、そこに罪の意識を超える環境の辛さが表現されていて、形式と内容が合致していて、文学的完成度が高い。作者は、このコンラッドやサマーセット・モームが多用した、一人称形式で文学性の香りのする手法をすっかり身に着けていて、申し分がないが、19世紀的手法も古い形式でもある。今となっても、新鮮さがないわけでもない。
【「敵と邪魔者」逆井三三】
 徳川幕府が権力を尊王攘夷側に譲った明治維新。そこで活躍した志士たち、大久保利通や西郷隆盛たちの戦術と戦略を明快に、解説する。権力を守る武士たちに代わって、徴兵制による軍隊にとって代わるのであるから、武士にとっては、大変革である。ここでは、それを革命としている。
 新時代の転換期を描いたものとしては、整理がよくて分かり易いが、人それぞれ会社が単純ではない。これを読んでも、日本人の社会組織のありかたが、個性的であることだけはわかる。何が良くて何が悪かったのかは、誰にもわからないことがわかる。
【「青い三角屋根の家」小松原蘭】
 主人公の「私」は、亡くなった父親の父の戸籍を抹消するために実家に帰ってくる。そこでどんなものが物語がはじまるのかと、進むと、話は小学時代のことに飛ぶ。ん?と思うが、読みすすめても、父親の戸籍に関する話はでてこない。今度は桃子という学生との話がはじまる。ここからまた、別の話に移るかも知れず、それまで読んでいたことが無駄になるといけないので、その辺でやめた。現代文学の変質ぶりを知りたいひとには、お勧めである。
【エッセイ「ともだちのこと」難波田節子】
 これは、高齢者の友人との連絡の手段としての年賀状の話から、その周辺のことが述べられている。わかりやすい。自分もたしか一昨年の年末に、家内がインフエンザで、身体感覚を狂わせたことで、大晦日には救急車を呼び、そのごたごたで年賀状はどうなったか、いまだにその影響で、はっきりしない。見つまされる話である。また、コラムに脚の手術で対外用に杖を持つといいとあるのも、昔の怪我が響いて、歩きにくくなった自分の身に染みた。
 たまたま「季刊文科」という雑誌が届いたのでみたら、同人雑誌特集で、誰かが「季刊遠近」の難波田さんは優れた作家だと、褒めていた。同感である。
紹介者=「詩人回廊」発行人・伊藤昭一
《文芸同志会通信 2020.1013》

第73号
【「茶箱」小松原蘭】
 「茶箱」というのは、元はお茶が湿気にように、木箱の内側に光るアルミ板を張って、密閉した箱に保存するもの。それを、海苔問屋では、湿気防止のため、乾燥海苔の保管に使うのである。女性の「私」の語り手は、母親の施設入りするので、家の片付けをしていると、古くなって放置された茶箱を見つける。未婚の「私」の母は年老いているが、実家が木更津の海苔問屋であった。
 その茶箱を発見して、「私」従兄妹の保と仲が良く、家族に隠れてこの茶箱に二人で入って遊んだ。子供心に好き合って、結婚の約束などもしたことがある。成人になっても、「私」は、その気持ちを持ち続けていたが、従兄妹は近親だといって、家族から反対される。そのうちに海苔問屋の跡継ぎをするつもりだった保は、考えを変えカナダの大学に留学し、「私」との交際をやめてしまう。しかし、かれはカナダで3年後に病死してしまう。それが原因か、「私」は結婚をすることなく、両親の老後を支え、父親は看護の末に亡くなっている。そして、一人暮らしの母親も、それが難しくなり、施設に入ることにし、住まいの片つけをしている時に、茶箱を見つけたのである。いろいろと無駄の多い話運びであるが、「私」と施設に入る前の車いすの母親との会話には、多くの人が経験したであろう、老いの悲哀と同時に老いるであろう「私」の語りに身につまされる思いがする。自分は、冬は浅草海苔、夏は地元の魚を捕る湾岸の漁師の子であった。茶箱は冬に収穫した乾燥海苔を、茶箱に入れて夏まで保管し、値段の高い時期に売る。海苔の種付けに木更津、姉ヶ崎、浦安なども小型エンジンの漁船で行った。親戚関係の難しさなども、従兄弟関係で結婚することの抵抗になったのではないか。木更津の郷土史にもなるような題材である。
【「頑張らない」逆井三三】
 コンピュータのAIの計算に従って人生の方向性を決める時代。主人公の山内洋士という男に生き方と思想が語られる。人生を自然のままに無理せず、成り行きに従い、生き抜くことの価値を、ニヒルな筆使いで語る。生きる意味のモチベーションを理解した人生論にも読める。
【「オリンピック画塾」難波田節子】
 高齢者の絵画教室に通う間に、生まれる人間関係を丁寧に描く。何を題材にしても小説にできる文才を感じさせる。それほど面白く感じなかった。自分の感性も鈍ってきているのかも。
【「もぐらの子」花島眞樹子】
 会社経営をしている女性が、妻子ある男との交際相手に区切りをつけられて、別れを宣言される。その喪失感を紛らわすために、スイスに住むレイコという女性に電話をし、彼女を訪問する。72号に寄稿した「逃げる」を、書き直したものだという。たしかに、形が整い整理がきいている。
発行所=〒225-0005横浜市青葉区荏子田2-34-7、江間方、「遠近の会」。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。《文芸同志会通信2020.4.13》

第72号
【「妹」小笠原欄】
 妙子の妹は精神に変調をきたすことが多い。姉として、妹と同居していたが、彼氏ができると、彼と同居してしまう。その彼氏が、妹の精神変調が悪化すると、妙子に助けを求めてくる。そこから妹を精神病院に連れて行く。入院が必要とされる。いまは統合失調症ともいうが、妹の面倒を見ることの負担、ストレスの生じるところは、何らかの身近な人との体験談が入っているようだ。こうした病人をかかえた家族の苦労話として、同じ立場の人の慰めにはなるかもしれない。小説としては、作者の思想などが反映されておらず、迷える姉の姿を投げ出すように描いているのが、読者の共感を呼ぶかどうかは、体験者次第であろう。
【「伝言」森なつ美】
 急な雨に、駅で困惑している彼に傘を貸してくれた若い女性がいる。彼女とは、傘を返す日を決めて、駅で会うことにする。その日がきて、彼女と交際することもなく、ただ、借りたものを返して関係が終わってしまう。まさに、何も起こらず、現実そのままの話だが、それを題材にしたのは、悪くはない。ただ、ストーリー的な起伏を持たない話には、作者の思想や感覚を付加するような工夫が欲しい。
【「逃げる」花島真樹子】
 前回の「優曇華ー」では、19世紀的リアリズムで、濃い味の文学的な作品を発表した作者であった。今回は、若い頃の海外体験と現在性を合わせた話にしている。長年妻子のある男と関係をもってきたが、老いが近くなって、男から別れ話が出る。それを受け入れるしかないと理化できるが未練が残る。それを振り切るために、ジュネーブにいる友人のところに遊びに行く旅行記も兼ねた話。ジュネーブでは、80や70代の女性が愛人を持つことが通常化していることに驚く。結局、帰国して未練を押し殺して彼氏と別れることになる。定型小説ではあるが、面白く読める。
【書評「『消される運命』マーシャ・ロリニカイテー清水陽子訳」難波田節子】
 リトアニアの作家が、ドイツナチスの時代を描いたもので、とにかく普通に読めるし勉強になる。評論しないところが、最近の作者のモチベーションが表れているように思える。
紹介者=「詩人回廊」北一郎 《文芸同志会通信2020.1.20》

第71号
【「うどんげの花」花島真樹子】
 昭和の第二次世界大戦とその戦後を生きて来たと思われる女性の独白で語られる。聴き手は、読書会で集まった仲間である。やや長いので、語り手と聴き手の関係に形式的には、定番的手法が用いられている。たとえば、コンラッドの「闇の奥」という古典的名作が代表するように、語り手と聴き手の形式があり、19世紀的小説のひとつの形式である。話は、昭和17年ころの、誰もが明日を知れぬ不安を抱えたなかでの戦時中の銃後の家庭の苦しい生活が、静かな調子で語られる。大叔父の東京の家に住まわせもらうことになる。そこで、灯火管制のためカバーを電灯に被せていた覆いをとると、そこにうどんげの花が咲いていた。ほんとうは花ではないらしいが、ここでは不吉な花とされている。それをクリスチャンのA子にあげるのだが、クリスチャンの彼女は喜んだが、その後彼女のいる教会のが放火され亡くなってしまう。地道で重厚な筆致で、雰囲気小説としてよく整っている。
【「ユズリハの木が時雨れて」木野和子】
 作品には美しき老女、という人が登場する。老女というのが、リアリズムから脱却して、夢幻的世界を語るのに適している。要は、人間は死ぬまで愛が去れば美しく過ごせるという話か。すがすがしさのある文章が印象的。
【「東京シティボーイ」藤田小太郎】
 南国九州の離島の学校の教師が赴任している。退任まえの「私」のところに、学びたいと離島勤務に来る青年がいた。彼は、鉄道マニアであった。上京した時に、東京の雰囲気を伝えたりするが、肝臓病で若死にしてしまう。何となく、年寄りが生き残り、若い新しい世代は死ぬことに、日本の衰亡を思わせ、侘しく感じる。
【「詐欺事件」森重良子】
 新宿に買い物いく途中に、携帯電話で話している同年配の女性が孫と電話をしている野に出会う。話は、幾らなのとか、どこに受け取りにくるのかとか、明らかに、なり済まし詐欺に騙されている様子である。主人公は、それは詐欺ですよ、と教えるが、迷惑そうにして、相手にする気配がない。警察に届けるかどうか、悶々とする過程を描く。読ませる筆力は充分あるが、題材が小さすぎて、その筆力が充分に生かせていないように思う。
【「未来少年の悟り」逆井三三】
 近未来小説で、若者たちが未来社会のなかで、苦闘する状況を描く。ここでの日本社会では、中国の影響が強く、国民は都市民と農民とは戸籍は異なる。議員は50歳以上でないとなれない。その制度に反抗して革命を志す若者の話。そこまでなるには、日米安保はどうなったのか不明であるが、時代の流れを捉えた作品である。
【丘の団地に住む家族】難波田節子】
 団地の住民である則子はある日、若い頃にしっかりた考え方をする佐田涼子という主婦仲間であった女性が、だらしない室内着で、表を歩いている姿を見る。人違いかと思い、涼子の家族の情報を、子供たちの交際範囲から仕入れる。すると涼子は認知症にかかっているらしいこと、則子の娘と同級の涼子の息子は英国の有力大学を出て、現地の美人と結婚したというような情報が入る。基本は、涼子の家族のそれぞれの様子を、噂話によって、外部からの情報で、描きだすもの。ジェーン・オースティンの「傲慢と偏見」を思わず手法で、いかにも古典的な懐かしさを感じさせるものがある。
発行所=〒225-005横浜市青葉区荏子田2-34-7、江間方。「遠近の会」
紹介者=詩「詩人回廊」北一郎


第70号
【「温泉宿」浅利勝照】
 人口減少によって、過疎化した観光地になった故郷に戻った45歳の里子。亡くなった両親の経営していた旅館は、弟があとを継いだはずだが、経営悪化でそこを投げ出し、都会に行ってしまう。里子もそれなりに行きどころがなく、傷心の里帰りである。過疎化する墓地でに戻って、立派な墓をこれみよがしに建てた女性もいる。そのなかで、里子は都会に戻ろうとするが、思い直してここにとどまり生きる決心をする。よくまとまっている。里子の人物像がはっきり描かれているで、その後の里子のサイバル的生活があれば興味がわく。
【「妻の敵と夫の敵」藤田小太郎】
 高校教師の定年退職がきまり、その後の勤め先を探している男とスーパーに勤める妻、ゆう子との夫婦の口喧嘩を素材にした物語。現在「妻のトリセツ」(黒川伊保子)が17万部のベストセラーだそうだが、これは別の意味で、妻のゆう子の言行が面白い。夫婦喧嘩を目にみるようで、引き込まれる。また、やり返したいという気を起こさせる妻の言動が具体的なので、純文学的ではないが、この姿を見よという問題提起で、活性化した形の夫婦の本質に触れた感じがする。
【「虹の彼方へ」花島真樹子】
 生活日誌的な作風の多い同人誌のなかで、粋と御洒落の装いをもった好短編である。かつての美人女優から、年とって中年、老年とテレビドラマに出ていた女性が高齢者施設で過ごす様子を、外側から施設職員の既婚男性が観察者として描く。どこまでも、世間を観客とみなして生活することで、女優でありつづけようとしてしまう、女性の心理が共感を呼ぶ。その哀惜を生む筆致が、作者の美意識を感じさせる。華のある哀愁を含んだ、創作力に富んだ佳作であろう。
【「背骨を削る」難波田節子】
 年をとっての腰痛のうち、脊柱の曲がりで神経が圧迫されるのが、一番危険で、痛みが強いらしい。骨の異常から診断手術にいたるまで、事細かに手順よくすべてをというより、要点をわかりやすく描く手腕はすごい。表現には根気が必要とは心得ていたが、同人誌関係の経緯までを分かりやすく、丸ごと浮き彫りにしている。なぜか、つい引き込まれて読んでしまうのだから、これも才能というものであろう。
【「平成老輩残日録」藤田小太郎】
 この記録は、腹違いの弟を義弟として、親の残した屋敷及びその跡地の遺産相続に関する交渉事を記録にしている。弟は腹違いであることを意識しているのか、兄との接触をせずに、相続の権利確保に法的に問題ないよう、きちんと手続きをしている。その様子が兄の立場で、不当なことをするのではないか、と疑惑の視線で記録している。感情的にもめないように、割り切れる手立てをきちんとしている弟の行動は、第三者的に読むと、なかなかしっかりしていて、問題にならないようにしているのはなかなかのやり手である。遺産相続でもめて嫌な思いがしないだけでもよいことであろう。 これは自分の感じでしかないが、このままでは、日本語では文学味が出ないように思えそうだが、もし、村上春樹などが英訳したならば、義弟の心理をを浮き彫りにする良い短編小説になるのかも知れないと思わせるところがある。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。《文芸同志会通信》