火山地帯

205号
【「さかしまの蝙蝠」夏埜けやき】

ストーリー展開が巧みです。姑からの切羽詰まったような電話で始まります。何事が起こったのだろう、と好奇心をそそられて読み進みました。推理しながら読んでいくと、ストーリーは思わぬ方向へ。巧みな展開を見せます。
【「黄昏慕情」立石富生】
子どももなくひっそり暮らしている夫婦を夫の視点で描いています。妻への気遣いや内面に抱えている思いが繊細に書き込まれています。70代半ばの夫は中学2年の時にハンセン病を発病し、隔離施設に入所します。治療ののち後遺症は残りますが、外見的障害はありません。夫妻は隔離施設で知り合い、結婚して施設を出ました。妻には手の指に障害が残っています。冒頭の諍いの元は妻の受診です。具合が悪く診察を受けようと思うのですが、一般の医療施設に行くと病気のことを最初から説明しなければなりません。施設内の診療所はその点では安心できるのですが、最新の設備や技術が提供されるわけではありません。診察ひとつにもこのような思いを抱えて逡巡する妻の気持ちが伝わってきます。施設の内情や患者に対する賠償金、保証金も初めて知ることばかりでした。ハンセン病に関しては、治療ができるようになって新規の施設入所者はなく、自分よりずっと高齢の方ばかりが在所されていると思っていました。私と同年代で中学生の時に発病したことは衝撃的であり、自分の無知に思い至りました。
byひわき 2022.06.17

204号
【「多桑(とうさん)」多胡吉郎】

久しぶりに文学的味わいのある文章に触れた気がしました。多用されている比喩も作者独自の表現ですが、無理なく響いてきます。60歳を過ぎた主人公は、43年前に父と訪れた台湾の地を訪れます。どうしても父を許せない息子は、父と巡った地をまわりながら今までと違った視点で父を理解してゆきます。台湾の風俗や風景も作品世界を印象づけています。題名を地名と思って読み進んでいき、最後に明かされるこの言葉がしみじみと迫ってきました。
byひわき 2022.06.17